仕方のないことで、必要なことで、正しいことであると分かってはいるのだけど。実家へ帰る三度目の夏休み、やはりどうしても気が進まない。

 

 なんというか、なんとでもないのだけれど、現在を生きていて、現在だけを生きたい私と、過去この秋田という土地で必死にとにかくしんどい思いを幾度となく重ね続けたあの頃の未熟すぎる私との葛藤というカンジ。

 

 帰ってきてね、と言われて今回も新幹線取ってもらって帰るわけなのだけど、地元というのは特に狭くて行動範囲なんてあったもんじゃない。どこにいても絶対誰かいる(単純に狭いし、みんな同じとこ住んでるんだもの!)というのは、自由からは程遠いことで、何よりも自由で縛られないことが第一優先の私にとって息苦しくて仕方ないのだ。

 

 しかも、かの真理子大先生もおっしゃるように田舎へ帰るとなぜか芋っぽさが一瞬にして取り戻されてしまうような、上京して2年と数か月、必死に拭おうと努力してようやく少しづつではあるけど薄れてきたかな、という垢が本当にびっくり、復活を遂げる(ような気がする、田舎マジック?)

 

 多分、自分的に単に個人的なリグレットとかshameみたいなものがまだ地元に残ってて(なんにせよ多くやらかしたし)そこに舞い戻るとどうしてもかつてのそれを、置いてきたそれを吸収してしまう気がするのだ。これって、抵抗して強くたくましく大人になった新生のあたしであります!みたいな感じで堂々としてたら逆戻りせずに済むのかな、済めばいいな、できるかな。こんなに(たかが?)帰省ひとつに思い巡らせてるのは多分私くらいで、考えすぎ末期でもあって、でも毎回帰ることになるたびに同じことを思わずにはいられない。

 

 もう新幹線に乗ってしまってるうえにもう田沢湖も通過したし、降り立つ未来はあと1時間後なんだけど、この気持ちの整理をもうほんの少ししたい。これを「帰省(規制)」と捉えずに純粋な「秋田という東北避暑地へのサマーバカンス」としてみようではないか。ゆうても滞在するの四泊五日だし。正直それでも長いなあとは思っているのだけど。

 着いた瞬間、思い出のどうしても行きたい場所などはやっぱり練り歩きたいし、散歩は感傷的になれそうだからしたいし、美味しいものくらいは少々たしなみたいし。せっかくだからゆっくり本読み、自然とか感じて、のんびりしてみよっか。家にはあんまりいたくないから、できるだけ早起きしてどっかへ繰り出す。執筆する。映画も見る。これでどうや!(やってること自体はほぼどこでもできる事なのだけどね。)やっぱり家、生活を送る場所って圧倒的に大事。メンタルに大事。一人暮らしにこんなにも慣れてしまったがために起きるまあまあな弊害やー、涙。あとね、行きたいカフェや喫茶店にはいく。新しい自分としてね、これ大事。

 

 絶対過去の全てから脱出して、もう変わった私として生きていきます。そういう大いなる決意表明をして、あと少しの新幹線チルタイム、読書、音楽鑑賞、雑誌に酔ってどうにか自分に四日ほど麻酔かけていきます。

 

後記

実際帰ったら、涼しくて、相変わらず天気は曇りでそれなりに楽しかったよん。✨