aikoです。
音楽活動をしていると、同じように音楽活動をしている人たちと会う機会が、当たり前ですけど、多くなります。
最近、とても活動的で人が温かくて良い仲間に囲まれた、素敵な女性と出会いました。彼女の娘さんがシンガーソングライターをしていて、当の本人は音楽活動をしつつ被服の学校にも通い、努力をして青春を謳歌しているティーンエイジャーなのですが、その娘さんを母である、その女性が、適切な距離も取りつつ、色んな面からサポートしていて
「あぁ、何か素敵だなぁ!良いなぁ!」
と、少し羨ましくもありつつ、二人三脚な母娘の姿に心がホワンと温かくなる、そんな想いを抱きました。
そして、そんな彼女たちの姿を眺めながら、自分と母のことが思い出されて…
歌っている私しか知らない人は、多分、私が普通に歌っていることに関して、何の疑問も無いと思いますが(当たり前か…笑)実は、私の両親は、中学生になったら音楽や踊りといった芸事は一切ダメ、という両親でした。小学生の頃は、歌やダンスをやらせてくれたけど(…というより、そういう話を持ってきたのは母なんですけどね、汗)、中学生になった途端、手の平を返したように、有無を言わさず全てを辞めさせられ、それこそ、お勉強一筋の生活に入った訳です。しかし、その両親の期待を裏切るように、でも「今ここで本当に自分の気持ちが向く方向に進まなかったら、きっと後悔する。きっと大切な人たちを逆に恨むような自分になってしまう。」と思って、20歳の時に、勝手にそれまでの大学を辞めて芸術系の大学に編入を決めるんですね…😅
すごい反抗期(笑)
だから、
私が歌うことは応援されないこと、
みたいな傷がちょっぴり心の奥底にあって。
実際、両親には私に別の道を歩んで欲しかった想い(そもそもは、国連職員になって世界の子供たちの為にバリバリ働いている予定だった)が拭い去れない部分があって、私の歌を聴きに来てくれたのも、昔に一度だけで…その時も私の為というのが前面に出ていた訳でなく(もちろん、裏じゃ私の為に来てくれたと思ってますが)、他の人間関係を含め、まぁ◯◯さんが行くんじゃ私たちも行かなきゃ、△△さんにもお世話になってるし…というのが表向きの理由だったですね😅
そんなことが…あんまり意識してなかったけど、その素敵な母娘の姿を見て、ポンッと意識上に上ってきました。
そかそか、自分は応援されないって思い込んでいたんだな…
でも、それは被害者妄想だぞ、愛子!
だって、なんだかんだ言って、行動としては、両親は私のことをいつも助けてくれたし、色んな意味で今も後押ししてくれている。それは、感謝してもしきれないし、打算でない、深い愛を注いでくれている何よりの証。
ただ、私は欲張りだから、気持ちの上でも、ストレートに応援して欲しかったし、多分、今もして欲しい気持ちが何処かにある…
優秀でも何でもない、ただ自分が心からやりたい事をやっている自分。そんな自分でも、真っ直ぐにエールを送られるに足る価値があることを、生んでくれた親に、自分の命の源に求めていたのだ、そう思います。
でも、愛情表現と言っても、表現の仕方も人それぞれなので、あくまで私はストレートに愛情表現して欲しかったし、それが私にとって大切だった、ということだけなんですよね😅(追記:太字の「だけ」とは、それ以上でもそれ以下でもない、という意味で。)
表現方法(見たくれ)が自分の望んだものと違うだけで、その中身までケチ付けて、何か不足したもののように捉え、ましてや「そんなんじゃ意味ない」なんて被害者妄想に浸ったり(ドラマ・クイーンもいいところ!爆)、思い込みの感傷に囚われるのは、まやかしに束縛されるようなもの。
ストレートにエールを送ってほしい私も、ストレートに応援出来ない両親、特に母も、親子で似て頑固だから、お互いが大切だから葛藤するし、その意地と思い遣りの綱引きで、ちょっと冷たい言動をしたり、お節介な程面倒見ちゃったり、ちっともロジカルじゃないんだけれど…人間関係ほど無法地帯で「行き当たりバッタリ」なものは無いだろうし(笑)
それが生きる営みってことなんだろう…
だから、ずっと歌えなかった時の渇望も、やっと歌えたときの歓喜も、ただ歌えるというそのものの悦びも、ネガティヴもポジティヴも、良かったのか悪かったのかも、ちょっとした罪悪感も、みんなみんな含めて、肯定も否定も無い世界で、そういう土台で、私は歌っている…のだと思う(笑)
でも、もし母が歌を聴きに来てくれたら、きっと泣くな、私。😂