精神障害者(統合失調症患者)の大川裕樹による文集(文章:文学:文献) -68ページ目

精神障害者(統合失調症患者)の大川裕樹による文集(文章:文学:文献)

精神疾患を患いながらも必死に文章を発掘しています。
よろしければ病気を持った患者の思考を拝見してください。

犠牲の度合い Y.O
 犠牲とは、自らの身体、心(精神)、命をかけて、ある事に尽くす事だと思います。
 紀元前500年ほど前、インドの御釈迦様は一匹のうさぎであり、ある老人が食べ物に困り、うさぎとして出来る最大の貢献、自己の命、身体を犠牲にして、老人に身をささげ、心(精神)の向上の修行を本能的に行いました。
 最近では、2011年3月11日の事を覚えているでしょうか?東北大震災です。
 ある、女性公務員は津波が社屋に来るまで、必死に避難のアナウンスをして、そのまま亡くなりました。
 共通点は、自分の命、身体を無くしてでも、他の方を助けるといった、本能的な行動だと分かります。
逆に自分の死に場所、生き場所を見付けられないがために、ホームレスの方になったり、仕事をしていても、なんで仕事をやっているのだろうと疑問に思う方も多いかと思います。
 自分の身を呈する事は、本能的に危ないと察知し、精神が反発します。
 ではなぜ、同じ本能的な精神の問題なのに、人は命をかけて他の為に犠牲になれるのでしょうか?

    答えは、安らぎです。

 自分の精神が、行動を許し、いらない思考を消して、自らの精神の向上を本能的に求めて、自己を捨て、心の成長を図り、全力を果たしたという達成感で満足するのです。
 ここまで前半は、目標を最大とする『犠牲』を書きましたが、後半は、犠牲を受けた側の度合いを書きたいと思います。
 『尊い』→『ありがたい』→『申し訳ない』→『仕方ない』→『当たり前だ』→『困らせてやる』→『死ね』→『殺してやる』 等。
 全部犠牲です。同じ犠牲でも意味が全く違います。
 大人は、会話でよく、『ありがたい』、『申し訳ない』、『仕方ない』と使います。犠牲を大分理解しているからだと思います。
 子供は口先だけですが、『当たり前だ』、『困らせてやる』、『死ね』、『殺してやる』等を使います。
 では、度合いとは何なのか? 以前私の文集で『自分を大切に』という節を書きました。毎日の生活を豊かに、生態系とのかかわりの事で、貴方は大切だとの事でしたが、大きなハードルが在ります。必要とされていた方の死です。
 人間はわけも分からず、泣いてしまう事があります。それは、言葉では言い尽くせない場合が多いです。犠牲では、大切なものを失った場合、わけもわからず涙が出てしまいます。
 これが、お釈迦様のうさぎとしての犠牲。肉体は死を迎えましたが、こころ(精神)は2500年経っても、風化されません。精神の生きる(こころ)のお手本なのでしょう。
 犠牲の度合いは、相手の心に残るかどうかで決まります。『死ね』、『殺してやる』と感じている子供は、親が死んだ時、本当の犠牲を知ると思います。
また、自分の死ぬ事を知り、日々社会貢献をされている方は、ご年配になればなるほどいらっしゃいます。
人間生きて豊かになる事も必要ですが、死んでからでも思われるような人間もいらっしゃいます。
それがいいではないでしょうか、先輩方がいないと、社会科の教科は無くなります。
生きる死ぬ簡単に言えばそれだけですが、でもきっと理由なきままいかされているわけではない。『犠牲』も『安らぎ』も『幸せも』包括出来る言葉もあるのだと思います。