ドラゴンボールこそ日本思想の傑作


 ①サイヤ人は日本人か。


サイヤ人は月を見ると、見境なく攻撃する凶暴な大猿に変身する。しかし スーパーサイヤ人になる場合は目が青く金髪になり、洗練された戦士となる。つまり 白人そのものになる。これは潜在的に存在する複雑な日本人の人種的劣等感を示しているように思う。昔、『猿の惑星』という映画があった。大東亜戦争の際に、ベトナムで捕まったフランス人原作者が、日本の捕虜となった体験を映画にしたものだ。 


 ②死者は蘇る。


悟空、クリリン、ヤムチャ、テンシンハン、チャオズ、ピッコロなどが一度死んでも蘇る。言うまでもなく、神話の黄泉がえりを連想させる。また、世界中の将棋で、日本将棋だけが持ち駒を使うことができるが、死んだ者が蘇ると考えれば同じである。チェスや中国象棋では考えられない。 根源的に日本人は他者を否定するような、対決がなかったということでもある。 死者は蘇るのだから、刹那的な生と同時に絶対的な死も存在しない。


 ③みんなで協力して敵をやっつける。


ヤジロベーのような雑魚キャラすらベジータ戦で貢献し敵をやっつける。日本人の集団的な理想がそこに現れている。個人的なプレイは必ずうまくいかないことが劇中何度も示される。


「オラが一人でベジータを片付ける」


といくら悟空が言っても、実際そうはならないのだ。 


 ④最後は許す。水に流す。


ベジータは危うくクリリン に殺されるところであったが、悟空の懇願により殺されずにすむ。そしてその敵すら最終的には仲間になる。これも日本の将棋の 持ち駒の関係と似ている。 


 ⑤アニミズム的世界観。


悟空は元気玉を集め、それをベジータに当てて最終的には勝つ。この元気玉は地球の生命体から元気を少し分け与えられた結果、出来上がったものである。地球で上位のカリン様は猫。そこに日本人にあるアミニズムを見ないわけにはいかない。


 ⑥日本的正邪の思想。


誠実で純粋な心を持っているものが善であり、悪は不純な心を持つという二項対立的な人間観。クリリンが打ち、ベジータが避け、悟飯に向かってきた元気玉を悟飯ははねのけられ、ベジータに当てた。それは 、悟空が悟飯に説いた通り悪の心を持たないからである。古代以来の清明心の思想が流れていると言える。


 ⑦不老不死は悪者の思想。


フリーザもベジータも不老不死を求めて、ドラゴンボールを探す。それは悪者の思想として見なされている。これはあの始皇帝の願いであり、中国人の思想である。上記したような日本人の人間観や死生観が、それらと対決している。 ドラゴンボールの中では神ですら死ぬ。生と死が常に入り混じる 冒険活劇 なのだ。だからこそ、そのアンチテーゼとして 不老不死の願望が描かれていると言えなくもない。


 まだまだ 色々あると思うが、宇宙戦争も登場させ 日本人の持つ 想像力(創造力でもある)を限界まで示したせよ鳥山明 氏は、世界中の子供たちを熱狂させた不世出の偉大なマンガ家であった。