戦後アメリカ産の価値を与えられて踊り狂う日本人へ怒りを感じた津田左右吉が昭和二六年(一九五一)に思い切った言葉を述べていたのも注目に値する。

 

 「それは民主主義とか言論の自由とか人権尊重とか男女同権とか、その他、敗戦後にはやり出したさまざまのやかましい「ことば」を一切やめてしまふことである」(「講和後における日本人の覚悟」)

 

 津田は明治から西洋の語彙を 翻訳し、造語を続け、一知半解のまま国民へ広がっていったことの危うさを見ていた。 それが私たち日本人の生活の価値観を乱すと見ていたのである。従ってそこに関与してきた知識人には警戒を続けてきた。さらに津田は、こうして現象に踊ってその中身自体を決して考えようとしない国民の様を批判したのであった。彼は原点に返るべしと訴える。

 

 「さうして昔からいひならはされて来たやうに、人々がめいめいに守るべきことはしっかり守り、すべきことはどこまでもする、じぶんのことはじぶんでして他人にたよらない、まちがつたことをしたならばその責任をとる、人に対しては親切にし、思ひやりを深くし、自分かつてのこと、世間の迷惑になることをしないしない、何ごとについてもむりおしをしない、他人を尊重し他人の意見を尊重する、しかしだれが何といつても、どんなことが起つて来ても、正しいと思つたことは少しも曲げない、かくいふ心がけになることである」

 

 これが〈やかましい「ことば」〉を捨てるべき意味である。具体性がなく、抽象的な理想に踊るな。それが津田の考える道徳論の核心であった。世上にある価値への懐疑こそ知識人本来の仕事なのである。