疑わしい図式だが、近年〈保守〉の自民党と、それに挑む〈保守〉の維新の会と言われている。歴史の新しい維新の会は置いておいて、自由民主党は昭和三〇年(一九五五)に自由党と民主党が一緒になった政党であり、関岡英之が平成一六年(二〇〇四)に『拒否できない日本―アメリカの日本改造が進んでいる―』で明らかにしたようにアメリカ政府からの要求である「年次改革要望書」を唯々諾々と受け入れ改革を行ってきた。九〇年代に入ってからは、ますます改革色を鮮明にし、今となっては保守政党とはみなせないことは明らかである。令和五年(二〇二三)六月二三日に公布されたLGBT法は性的少数派に対する理解を深めることを趣旨としており、自民党に落胆した言論人は多かったが、それ以前の自民党の歴史を見れば、失望するには当たらない。日本の自民党はアメリカの民主党であると考えればわかりやすい。

 戦後政治史には、リベラルデモクラシーはあっても、保守はなかった。保守党はなく(平成一二年〈二〇〇〇〉に扇千景らがつくったが消滅)、共和党がなかった。岸信介の流れをくむ清和会、池田勇人の流れをくむ宏池会、田中角栄の流れをくむ経世会などの連合政党である。現首相の岸田文雄首相の派閥宏池会は〈自民党内社会党〉と言ってもよく、確固たる国家観、歴史観を感じさせる党派ではない。それは岸田首相の迷走ぶりを見れば明らかであろう。こうした保守もどきの自民党が保守主義のイメージを決定づけてしまったのは、不幸であった。

 野党の革新勢力に往年の力はない。というのは彼らこそが戦後利得者、守旧派であり、ある意味本当の保守派であると認識する人が増えたからであろう。著名な戦後思想家の加藤周一は「戦後日本において、保守は革新であり、革新は保守である」(粕谷一希『戦後思潮』)と述べた。今もなお革新(リベラル)と称される勢力の政治的主張(例えば立憲民主党、日本共産党など)を一瞥すれば、その本質が〈護憲〉などに現れ、戦後体制の保守主義者であることが理解できる。こういう勢力は、戦後八十年近くたっても一向にその考えを進化させず、その固陋頑迷は明らかであるから、静かに消えゆく存在と見なし、論ずるだけ不毛とすればよい。それゆえに、これから〈保守〉についての議論が大きな意味を持つ時代となったと言える。

 西部邁が言うように、「進歩にたいする信仰と懐疑のあいだでかろうじて平衡を保とうとするのが英国流の保守主義であろう」(『幻像の保守へ』)なのであって、保守主義はもともと進歩主義に対して立ち上がった、イギリスの思想である。西洋由来の外来思想だから問題視しているのではない。そんなことを言ったら仏教も儒教もみな外来思想である。しかしそこには長い年月をかけてそれらを血肉化し日本人のものとしようと努めた歴史がある。しかしながら、明治以降の日本の言論人が保守主義を血肉化してきたかと言えば、それは到底言えない。

 筆者には自身の保守的人間の定義がある。政治的な話について触れたのだが、あえてそのような意味は含まない。結婚制度を肯定的に捉え、婚姻関係を異性と結び、子供を作り、家庭を守り日本国民の種を絶やさない人のことである。誤解される可能性があるので付け加えておくが、結婚する意志がある、結婚してはいるがやむなく子供がつくれなかったりしている人、家族を守っている人も保守主義者に入るだろう。やむを得ない事情を抱えている人はたくさんいる。ただ言えることは、意志的な独身主義者は保守主義者には入らない。こういう人たちが増えれば日本国は消えてなくなる。

 古来「妻といふものこそ、男の持つまじきものなれ」(『徒然草』)とも昔から言われている。実際に既婚者は家族間の悩みも多い。それゆえに結婚自体の価値を相対化し、独身は素晴らしいとする言論が流行っている。これを見ると、日本人の多くには保守の精神が薄れており、未婚者の発言に注視すると、経済的に結婚が損だと述べ功利主義が露骨である。子孫を残さない不安が少ないことが不思議である。日本人そのものの生命力が減退しているようにすら感じられる。

「保守」という二字熟語は似た意味を重ねている。何かを〈保〉ち〈守〉るのであるから、当然それは自分以外の存在であろう。自分のことだけを保守するなら、「保身」である。それは保守とは対極である。自分を超えて何かを守るということは生命を賭すことすらありうるし、常に何かとつながっている生命なのだから、自暴自棄でいいというわけにもいくまい。また、死生観も磨かれ、ニヒリズムなどに陥ることも少ないだろう。さらには、配偶者家族との付き合いやそこから生まれる葛藤、過去の死者と生者をつなぎとめている伝統への意識も生まれるに相違ない。結婚を通じてでなければ、そういうことも考えようがないし、道徳的な生き方にも接近できないのではないだろうか。筆者は初めて子を持ち人の親となって、横田めぐみさんのご両親の想像を絶する精神的苦しみを理解できるようになった。子を誘拐された、事故で失った、殺された親たちの気持ちを理解できるようになった。独身主義者が増えれば、こうした事件への共感性も薄れてゆくのではないだろうか。

 西部邁は「家こそは、危機、臨界、批評そして規準を産出する母体なのである」と言い、「人間精神に動的平衡 へ向けての陶冶を与える場所」と見なした。〈動的平衡〉とは、定常性であり「生体が、環境条件の変化に適応しつつも、内部では構造的安定を保持すること」だとする。メンバーは緊張の中でその平衡の維持を強いられるという。人間社会の家にもそうした側面が不可欠なのだという。それは西部の制度観から来ており、「動的平衡のなかに置かれていること」の制度のことにほかならない。西部が言うに、制度としての家の役割は第一に親としての子供の養育、第二に言語の習得をはじめとする一般的文化能力の子供に対する教授、第三に子供達における社会的役割の習得、第四に子供における人格の統合の役目があるとした。いつの時代もこれが行われてきたのが家であり、不変的存在である(『保守の辞典』)。

ここで西部が明らかにしていないのは日本の歴史から見た家族制度の特徴である。伝統的に日本人が家の歴史の中で何を重んじてきたのかは保守主義者としてもっとも問わねばならないだろう。

筆者の場合は、不幸な体験もあったが小学生の時に、養子縁組を二回経験している。そこには血というものにとらわれず、日本人同士だから受け入れるという寛容性がそこにはあったように思われる。血縁以外の人々に高い信頼を寄せる社会をフランシス・フクヤマは〈高信頼社会〉と呼んだが(『「信」無くんば立たず』)、年収などで結婚し家族を作るのが一般的な時代には、そうした互いへの信頼感は徐々に薄れているであろう。我々はかつては日本に存在した寛容性と高信頼社会の二つに戻る方途を考えねばなるまい。

結婚をするということは家族制度への参加なのであるからそれ自体人為的だが、それがなければ人間は存在してこなかったわけであり、人はそもそもが人為的存在であると言わねばならない。その役割を放棄するということは、人としての役割の放棄に近い。