8月の終わりまでは何も仕事がない状態なので、たっぷりと本を読めた。


この本はベトナムの古本屋さんが譲ってくれた。ちょうど戦争直後の日本を映画を通じて勉強しようと思っていたところなのでいいタイミング。著者は鴨下信一。1935年生まれのでTBS 相談役を務めた。


ちょうど昭和28年の『夫婦』(主演は上原謙)という映画を見ていたのでよく雰囲気が分かるが、この当時、大変な住宅難で〈間借り〉が深刻な問題を引き起こした。アメリカの東京大空襲をはじめとする非戦闘員の大虐殺は、戦後の住居不足をもたらした。家が二階建てだとしたら、誰かに二階だけを貸してもらうとかして、間借りをして済むのが一般的だった。


現代の日本でも貧しい学生や、あまり住居にお金をかけたくない人たちが、ひとつ屋根の下で暮らしているというようなニュース映像を見ることがある。ネットカフェ難民 という人たちがかつて存在したが、なぜ彼らは互いに連結し、アパートを借りて住まないのだろうか。 ベトナム人だったら100パーそうしてる。日本人同士の結束力は著しく 弱いと思わざるを得ない。


私は今ベトナム在住だが、ここでは間借りに近い状況で住んでいる人たちが大勢いる。彼らは二段ベッドの下1段だけ上1段だけといった形で自分のパーソナルスペースを確保している。もちろん性欲もあるからそういう時はNhà nghỉと呼ばれるラブホテルに行く。


間借りはトラブル続きだった。これはアパート暮らしとは全然違う。当時は高額所得者ですら間借りをせざるを得ず、嫌で嫌で仕方がなかった。しかしこの習慣は戦前からあり石川啄木、夏目漱石もその経験者だ。


ただ、戦後の間借りは天と地ほども違った。まず恐ろしいほど狭く、六畳一間といっても六畳はない。八畳と言っても八畳は使えない。たいていタンスやトランクなどといった元の住人の家財道具が入っているからだ。

ラジオもつけられず大きな声で笑うこともできない。

困ったのは便所で同居している貸主一家がすますのを伺い、急いですること。


それよりもどうにもならなかったのは台所で、間借りの悲劇はたいていここから起きる。人間は卑しいものであの食糧難の時代、他人が何を食べているかぐらい関心を引くものはなかった。それはおかずのことではなく、みんな腹いっぱい食えるかどうかが問題で、主食にイモかカボチャが代用食の量をどのぐらい食べているかそれが一番問題で、米のご飯や白米なんかをどちらかの家が食べていれば陰口、悪口では済まないぐらいの問題だった。


実際に12代目の片岡仁左衛門一家3人が薪割でめった打ちにされ惨殺されたという記事が昭和21年の3月16日にある。見習いとして住んでいた飯田某が家族は1日3食食べていたのに、彼だけ2食、そのうちの一食はおかゆ、つまみ食いを叱られたために爆発したらしい。


凶悪事件が多発したこの時期でもこの事件は衝撃だった。屋根の下で差があればその恨みは骨髄に達する。間借りとはそうした状況。最初の方で紹介した『夫婦』という映画はその間借りの問題について描いた作品 。YouTube で視聴可能。