これから 団塊の世代(1947〜49 806万人)論がますます重要になってくると思われる。


戦後という時代が問われる時、明治生まれ(1868〜1912)の人もいた。大正時代(1912〜26)に生まれ戦中派となった人もいた。 さらには 昭和 一桁世代(1926〜35)として 軍国少年などの時期を経たものもいた。その次は野坂昭如によって焼け跡世代(1935〜47)と命名された。とりわけ、戦争を知らない純粋な戦後生まれの団塊の世代が、一体この戦後の日本をどのように動かしていったか、そのことについて検証が必要だと思う。


私の直接的な経験だが、小学校の担任の教師、中学校の社会科の教師、 定時制高校の社会科の教師 、大学の指導教授が全て見事なまでに団塊の世代に該当していた。ほとんどの人が反国家思想、戦後民主主義を肯定する側におり、昭和一桁世代によって育てられた私が、 あの日本国憲法は アメリカが日本に対して 押し付けたものだなどと言うと、とんでもないことを言うやつだと言わんばかりに 教師から半ば 説教じみたことを言われたのを思い出す。

中学を卒業する時、


「君と僕との論争は僕の勝ちだったね」


と 本気で言われたのを鮮明に覚えている。まさか中学生を相手に本気にするとは思わなかった。どうもこの時から私は団塊の世代の左派の人たちと縁があると言うか 、宿命 みたいなものがあったらしい。 私の養父は昭和9年生まれなので戦後の日教組教育に懐疑的であったらしく、 逐一 学校教育の中身とは違うことを教えてくる。私は養父の読んだ本などの影響を受けて育った。その過程で知った思想家が佐伯啓思氏だが、氏が団塊の世代であることは知っていたが、偶然日本に帰った際に、氏の同世代論が載っている書籍を見つけた(御厨貴他『共同研究団塊の世代とは何か』講談社 平成二〇 二〇〇八)。


佐伯氏は オルテガの世代論について触れている。オルテガ によれば


「一世代の活動期間は約三十年である。しかしこの活動は二期に分かれ次のような二つの形をとる。つまり、その三十年の初めの約半分に相当する期間には、活動を開始した新世代は、自分たちの思想や好みや趣味の宣伝をし、それらが後半にいたって実効をもち支配的な力を発揮するようになる。ところがその時には、この世代の支配下に教育された新しい世代が違った思想や好みや趣味をもつようになり、それを社会に注入し始める。支配的な世代の思想や好みや趣味が極端で、したがって革命的であれば、新世代は反極端主義であり反革命主義、つまり、本質的に復古的な魂をもつであろう。ここで復古という言葉が単に「古いものへの復帰」を意味していないことはもちろんである。今までの復古が単なる古いものへの復帰であったことは一度もなかったのである。」(『大衆の反逆』)


とのことを言う。ここからヒントを得た佐伯氏は 12年周期説があると考えている。 1つのジェネレーションを12年 と考えると最初の6年には何らかの主張があるが、次の6年は前の6年に何となく追随や反発をして振り回される。 その次の 6年で新しい価値観や ライフスタイルが出てきて、また次の6年は何となく追随や反発をするということが繰り返されているように思うと言う。


佐伯氏はこれを実際の段階の世代に対して当てはめる。 戦後 5〜6年くらいに生まれた人たちが1つの考え方やスタイルを作った。すると 次の6年は何となく内心反発しながらついてくる。次の6年が新人類と呼ばれる世代でまた新しいスタイルを確立する。 その次の6年はまた なんとなくついてくる。 その次の6年が 団塊ジュニアの世代となる。こうして 12年のサイクルで1つのジェネレーションができるていると考えることができるとする。


佐伯氏によれば 団塊の世代は昔はともかく 今は元気がないという印象が強いという。 団塊の世代はリーダーを出していない。政治家にしろ、 経済人にしろ、 文学者でジャーナリストにせよ、 何人か 例外はいるが、全体的に元気がなくしょぼくれている。ようやく 定年を迎えてやりたいことができるようになったにも関わらず 全体的に元気がない。人生を振り返ると悪くもないが、充実感、達成感これだけのものやったという手応えがない。こういう印象を私は持っています、と。


これは私には意外な団塊の世代観であった。 思いつくだけでもまずビートたけしがいる。 志村けんもそうだ。尊敬する橋爪大三郎氏もそうだ。テレビ人だけではなく、様々な業界で団塊の世代はリーダーを輩出してきたと思い込んでいた。しかし平成20年(2008)に佐伯氏は違うというのである。


確かに 佐伯氏が言うことが正しいとするならば、この翌年の2009年8月に民主党政権が誕生したが、鳩山由紀夫氏(1947年生)、仙谷由人氏(1946年生ほぼ団塊)、菅直人氏(1946年生まれでほぼ団塊)、海江田万里氏(1949年生)、などが政界の指導者として君臨した歴史がわかる気がするのである。なぜならば この人たちは団塊の世代であり、全共闘世代に属し、その挫折を経て、佐伯氏が指摘していたような劣等感を感じ続けていた可能性がある。この情念は、一度でいいから政権をこの世代で握りたいという支配欲に結実していったのかもしれない。


我が師匠の市井の碩学はこう述べた。

「民主党政権とは団塊の世代政権である」

日本を壊したいという本音がこの政権の基本的な情念として含まれていたように思われる。(続く)