5月6日 は、月曜日。珍しく、朝八時から、夜八時半までぶっ続けで仕事が入っている。翌朝は早い。夜は美味しいと評判の東北餃子王で食事をする。ピータン豆腐と、ゆで餃子が美味と言われている。それにビール。

 帰っても構わないが、面倒なのでホアンキエム湖の安宿に泊まることにした。

 一〇六.〇〇〇ドン(六三八円)

 破格の金額だ。ここは欧米系のバックパッカーが多くうるさい。宿にはセックス禁止で、したら罰金として

 一〇〇〇〇〇〇ドン(六〇二二円)

 を取ると書いてあった。アジア系でそういうことをする人は少ないと思う。というのは、人前で裸になることはタブーのことが多いからだ。

 戦後ビルマで、イギリス軍により強制労働をさせられた元日本兵で西洋史家の会田雄次は、戦争直後の屈辱的な体験を振り返っている。


 「その日、私は部屋に入り掃除をしようとしておどろいた。一人の女が全裸で鏡の前に立って髪をすいていたからである。ドアの音にうしろをふりむいたが、日本兵であることを知るとそのまま何事もなかったのかのようにまた髪をくしけずりはじめた。部屋には23人の女がいて、寝台に横になりながら『ライフ』か何かを読んでいる。なんの変化もおこらない。私はそのまま部屋を掃除し、床をふいた。裸の女は髪をすき終わると下着をつけ、そのまま寝台に横になってタバコを吸いはじめた。

 入ってきたのがもし白人だったら、女たちはかなきり声を上げ大変な騒ぎになったことと思われる。しかし日本人だったので、彼女らはまったくその存在を無視していたのである。」[i]


 つまり、ここの白人女性は日本人を同じ人間扱いしていないのである。こうしたきっかけがあったのかどうかは分からないが、会田は戦争前からの西洋史の研究を戦後も続け、京都大学教授となる。

 見たわけではないが、日本人のみならず、アジア人には共用の部屋でセックスをするなどという発想はないだろう。宿自体は素晴らしかった。こんな安いのに、シャワーもしっかりしていたし、寝室には三つのコンセントがあった。また家に帰るのが面倒な時に泊まろうと思う。


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[i] 『アーロン収容所』中央公論 一九六二