五十嵐哲也句集『復興』は、氏の『花柘榴』『花ミモザ』に続く第3句集。
「あとがき」に、「近々生田神社に/復興を称へて長き御慶かな/の私の句碑が建つ予定、東日本大震災・大津波から早く起ち直って欲しいとの思いをこめて句集名を『復興』とした」とある。
その名の通り、句集一巻には地震の句が多い。しかし、それは阪神淡路大震災に被災されての地震の句である。さらに特徴的なことといえば、「ミモザ成長」の章立てもあるが、前句集につづきミモザの花明りに包まれている。
さらに本句集の特徴を上げれば、
身に入むや詠みたる悼句数知れず 哲也
と、詠まれたように、実に多くの追悼句が収められていることだ。
偲ぶ友みな善人や夕端居
露の世や長寿夭逝身ほとりに
余生とは忌日の多し鉦叩
偲ぶ人増えし八十八夜かな
など、嘆きは深い。ページを捲るごとに追悼の句が置かれているという態である。あまりの多さにざっと数えてみたら、50句以上もある。
因みに最初の悼句と最期の悼句は、平成七年の
悼 川島帰子氏逝去
惜しまるる余寒余震になじみしに
と、平成十九年の
悼 安原春峰氏逝去
共に老い共に残暑を耐へたるに
である。五十嵐哲也氏自身も老いを見つめておられる。
平成十二年には父母も亡くされている。父は言わずと知れた五十嵐播水。
父逝く
行く春の雑草園を見ず逝けり
母死す
夕顔の終の花見ず逝きにけり
淡淡と詠まれているが、いずれも切なさがひろがる。
句集巻頭は「阪神大震災 平成七年~十年」の章である。
根底には、昨年の東日本大震災に続いている同質の光景が横たわっていたのだろうと思う。にもかかわらず無常観に後退することのない心情がうかがわれる。それが『復興』。
地震なき地へ高々と鳥帰る
被災せしことアトリエの黴にまで
復興に遅速ありけり後の月
地震より月日転がり極月に
嘆くより謝すこと多き日記果つ
芝根付き地震の緑蔭落着きし
海開須磨に住み古り地震に耐へ
地震の日は明日三寒の雲厚く(平成十二年)
地震に耐へ抜きし父母なし寒の月
地震にかかわりのある句をいくつかあげさせていただいたが、最期に、氏の本領である味わい深い句を、多くの句の中から、小生の好みに偏するかも知れないがいくつかを上げておきたい。
谷越えてみたき余花あり空のあり
ソーダ水小さき嘘は許されて
黄は余生励ます色や石蕗日和
耳遠くなり原爆忌祈るのみ
天辺は鳥来るところ風五月