私の名前は日本ユニシスが誇る大串宏通です。

 

少し間が空いてしまいました。

皆さんはお元気ですか?

 

元号も『令和』ですか。

 

今回は万葉集からいただいたんだそうな。

しかし、なんというのか、発表のインパクトは、

 

『平成であります』

 

の小渕恵三氏にインパクチ(※)で叶わない気がします。

 ※インパクトのうちミスではありません。

 インパクチというレアな言葉があります。

 気になる方は、『ボキャブラ天国 インパクチ』で検索

 

 

さて、今上天皇・皇后両陛下(平成天皇・皇后という意味ですよ)は、

4月30日に退位して、上皇・上皇后ですか。

今上天皇は、生前退位=譲位のお気持ちを表されたとの報道がありましたね。

 

しかしながら、私大串宏通的には、摂政宮を再び任命し、

現皇太子 徳仁親王を以て、摂政宮徳仁親王としてご活動いただくわけには、

いかなかったのでしょうか。

 

生前の譲位は、江戸時代の文化の世に行われて以来例がありません。

昭和の前の大正時代には、大正天皇はどうしても体が弱く病気しがちのため、

皇太子裕仁親王が摂政宮をされていたことは、意外と知りません。

 

なぜ、知らないのか?

一般に高校日本史では、摂政宮裕仁親王の登場まで消化しきれないケースが

非常に多いのです。確かに、大東亜帝国(大学のグループのほうの意味ですよ)の大学であれば、

出ないケースが結構多いですが、こと日東駒専以上になれば、当然でますよ。

現総理大臣まで覚え込む必要があります。

 

どうも、上皇という言葉を聞くと、院政や保元の乱、平治の乱等が頭に

浮かんでしまうのです。

 

摂政宮の設置を内閣やどのように考えていたのでしょうか。

気になるところです。今上天皇は摂政宮でも良いというお考えももしやあったのではないでしょうか。

この辺は、あまり書きすぎると竹田恒泰氏辺りに噛みつかれそうですね。

 

今上天皇と言いますと、非常にスローな口調で言葉を選びながら、話されるイメージが強いですよね。

美智子皇后も同じです。あれが、素のお二人の話される言葉だと思いこんでいますか?

 

違います。

 

私は、かなり昔ですが、今上天皇・皇后両陛下が海外を訪問されていた際に、

まさか、いくらなんでもこの国には日本人が来ているのは思ってなかったののでしょうね。

どこの国かは忘れましたが、日本人が気軽に留学先に選ぶ国や地域ではなかった記憶がします。

 

現地の通りを手を振りながら歩き、現地の住民にも歓迎されていたわけですが、

そこで、

「ヘイカ~♪」

という女性たちの、日本人女性たちの声が聞こえたのです。

すると、まず美智子皇后が女性たちに駆け寄り、

 

「あら、どこからきたの?」

とごく普通の同年代の女性がするリアクションで、女性たちに近づき話しかけました。

すると女性たちは明らかに日本人で、

 

「留学しているんです。いらっしゃると聞いて、お目にかかろうと。」

といったような回答をしていました。

 

やはり、まさか日本人がいることはないだろうという、両陛下の前に、

ふと、日本語で呼びかけられて、とっさに反応してしまったのでしょうね。

今上天皇の反応も、普段もニコニコではありますが、いつものそれとは違う、

素の笑いといいますか、非常に身近に感じた一面でした。

 

それ以上の記憶は強く残っていないのですが、

ちょっとした世間話をしていましたね、映像中でも。

スタジオでもこれはスクープですね、という声が上がっていました。

結構、昔です。もしかするとイメージの為に今後再放送等されることは

ない映像かも知れません。非常に貴重でした。見れて良かったと私は思います。

あのお姿、口調、と親近感が素のお二人であると。

 

私、大串宏通もあまり、日本人がいないであろう国に行った際に、

なんだか日本語が聞こえたので、話しかけた旅行の一団と意気投合したことがあります。

まさにそんな感じの映像とやり取りでした。

 

本来は、お二人も、そういった身近な場面で人と接することを、お忍びで、

接することを望まれているのでしょう。カメラなど回ってないところで。

 

これからは、少し自由に、少しわがままにお過ごしになっていただきたいものです。

 

 

以上、大串宏通の世相を切る!でした。