先日に友人から歌舞伎に関する本を貰った。

最近になって歌舞伎を観ることを知った私には、うれしい本の贈り物だ。

本の縁というものは必要な時にやってくる。

巡り合わせにはいつも意味がある。

もともと私は美術館や博物館に毎週通っている。

展示を観るためでもあり、何よりも建物の中に漂う歴史の気配と芳香を感じるために足を運ぶ。

いちばん訪れる回数の多いのは、上野の国立博物館だ。

外観、内部、空間の細部に歴史の美術が磨き上げられている。

映画を観ることも好きなので、歴史映画に使用されている美術にいつも眼が惹かれていく。

フランコ・ゼフィレッリ監督作
『ロミオとジュリエット』

この作品は有名なロミオとジュリエットの悲劇をイタリアを舞台にして作られたのだか、その全編に歴史美術がぎっしりと詰め込まれていた。

そういえば初めて入った歌舞伎座にも同じような感じを覚えた。

劇場と脚本と役者は時代を経て、現在も受け継がれている。

歌舞伎座の空間には東京という都市を生み出した江戸の世界がある。

江戸の空気と時間は、歌舞伎の中に今も残り続けているのではないかと思う。

歴史というものは文字から入る。

文字から知り、知ったあとは自身の身体を使って感ずるべきものかも知れない。

そんなことを行うことができる博物館と歌舞伎座の存在は、私にとってはありがたい場所になるのだろう。




この仕事をしているせいか、出会いの縁というものに、いつも不思議な必然を思う。

極端なもの言いをすれば、

「人の出会いに、偶然などはないのかもしれない」

ということになる。

人が新しい物事や、人物に出会うことは、その人が求めているからこそ、出会うものであり、必要のない人の前では、気づくことなく通りすぎていく。
そしてその出会いの縁は、出会う人の身の丈にあったものでもある。
必要のない人、受け止める力量のない人には、やはり縁はないのだろう。

出会う縁は相手次第であり、自分次第でもある。

ではどうすれば出会う縁を得ることができるか、という問いに対しては、まず貴方は何かを求めているか、と問うようにしている。

出会いは突き詰めれば、個人的なものでもある。人が何も求めていないならば、無理に出会いを求める必要は無く、自身を変化させる必要もない。
ただその人の置かれている環境と状況は、変化し続けるので、対応は求められる。
変化に対するための出会いは、いつも迫られているものでもある。

仮に何か新しいものや、人物と出会った時に、なぜその時期に巡りあったのかを、考えてみるのもよいと思う。
社会的な立場から求められて、あるいは個人的な要望なのか、感情や欲求からなのかと、思いを巡らせてみれば、自分の出会う縁の形を、読み取ることもできるかもしれない。

そんなこと書いていながら、私などはフラフラと、あちこちを歩いているせいか、思わぬ所で知り合いと顔を会わせて、

「どこにでもいますね」

と言われてしまう。

出会いを求めて歩くというより、歩いていれば、何かしら出会うだろうと、呑気な気分で、毎日を歩いている。


先日に友人と「藤田嗣治展」を観てきた。

私は観るのが二回目なので、初回で観た時よりも余裕があり、友人に多少の解説のようなことをしていた。

人の多い日を避けるために、金曜日の夜を選んだが、さすがに有名な画家の企画展なのか、待ち時間はなくとも混雑していた。来場者の列で絵が見えない。

その日は程好い気温と風の吹く、心地の良い夜だった。
夜の上野公園は、いつもとは違い、夜闇の静かさと重みが漂い、ライトアップされた建築物がその佇まいをみせている。

「藤田嗣治展」は画家本人の生涯を追い、描かれたテーマと作風、技量がどのように変化したかを、明瞭に教えてくれた。
明治に生まれ、昭和半ばに人生を終えた藤田嗣治は、1970年にはたどり着かなかった。

大正時代のパリ、中南米、二度の世界大戦という多彩な歴史経験は、彼に多彩なテーマと変化を与え続けたと思う。
白の色彩を一つの完成した技法として、描かれた彼の絵は、中南米と世界大戦を経ることで、さらに多くの色彩が足されていった。

彼の成長は晩年まで終わらず、蓄積は実り続けた。
その過程の中で、様々な毀誉褒貶があり、そうした意味では、常に孤独でもあっただろう。その孤独に耐え、それを愛し、作品を生み出し続けたことが、彼を巨匠の一人に導いたのだろう。

そんな藤田嗣治の人生と作品をめぐりながら、友人とそのようなことを、語り合っていた。

閉館時間が近づき、アナウンスの流れる美術館を後にして、上野の線路高架下にある店で、友人と杯を片手に近況を話す。

時よりに響く、列車の通過音に、藤田嗣治の絵が浮かんできた。