承前 、、ここからもみじめな存在になつて行くといふものに通じてゐる。平和を賞揚しながら、結局はみじめな存在から免れたいのだろう、最も嘘ッぱちな闘ひである。
再) 編集
【序・パスカル】
Oedipus 、オエダ は「知」(万物の尺度での思ひあがり)でプースは「足」、詰まり、人間は「獣」でもあり「知」でもある。
モンテーニュの「神なき人間のみじめさ」とエピクテトスの「精神の偉大」からパスカルは學んだ。両面こそ「人間の本質」であり、両方を教える必要があるといふことをパスカルは「パンセ」に書いてゐる。「科學は進歩するが道徳は進歩しない」。
(以上、過去に纏めたノオトから)
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勿論西洋人が問ひ詰めたものである。
過去の偉大と悲惨を引き継がず、又、神を崇める一方で神と張り合ふ精神とは関係なくその上ッ面らのもとに巧く生き延びやうとするだけなら、必然的にみじめな存在になるしかない。上は内閣総理大臣から下は詐欺師、自由人コラボ、それ未満のアフェリくんまで、みじめに見えやう、成人してからのち、老いも若きも、「同じやうに」みじめ、、キレる生きのいいジジイ、荒れる成人式、社會に表れる軟弱エゴの破棄散らし、偏見持ち寄り嫌味衒学的分人小僧講釈垂れ、等々、最早みじめ故に發する以上のものでない、、、みじめがみじめを叩いてゐるさもしさ。本當の謙譲の氣持ちからは離れる一方。これらは、上記の西洋の真実を追い求める人間観から、では我々日本人精神は、と日本人一人一人が問ひ詰めなければならないものなのだが、そこへの果敢なチャレンジ停止し切つて半世紀は經たうか。
殴り書きしたので、又引きたい。この次元から考へてみて下さい。
續
