永らく、この誰も読んでないであろうブログを更新していなかったが、もうこのブログも続ける事すら困難になりつつある。
総務省という悪辣な役所と携帯大手キャリアが結託してガラケーにネットを使わせないように日々機能を削減しているからだ。もうガラケーでここに書き込めるのは何日残されているのか筆者にも解らない。
筆者のようにPCやスマホから使用を拒絶されている人間には、最近の何でもかんでも「アプリを使って下さい。」「スマホで・・・・」「ダウンロードして・・・・」は社会からの拒絶でしかない。この日々生活圏が狭められていくこの日本は本当に住み辛い。このまま行くとコンビニにすら入れなくなるらしい。
PCがどういう基準で使う人を選んでいるのかは解らないし、PCのプログラムをした人達が何故筆者を憎むのかも筆者には解らない。しかし、筆者は少なくとも何ら彼等に迷惑をかけていないのに彼等に一方的に嫌がらせを続けられる事にもう怒りも限界に来ている。
触っても反応しない・電源のON/OFFが運・電源がついても2回に1回は見た事ない画面で何をしても反応しない・動いても操作手順が毎回違う・・・・・・これを使えという人が理解出来ない。何度も言うが、これが車ならどうだ?「乗ってもエンジンがかかるかかからないかは運です。昨日はこのペダルはアクセルでしたが、今日はこのペダルはブレーキです。」それを説明すらされず乗るまで解らない、そんな怖い車に乗れるのか?
いつかは解らないが買い物に現金が使えなくなるなら、筆者は間違いなく死ぬだろう。金がなくて餓死するのはまだ解る。しかし金はあるのに買い物すら出来ずに餓死していくなんて本当に納得出来ない。筆者の死体を見つけた人は「即身仏になりたかったのかな?」「自殺?」と思うだろう。しかし自殺ではない。PCのメーカーとスマホのメーカーと総務省に殺されるのである。
近日中に遺書はちゃんと弁護士を呼んでしたためるつもりだ。近い将来、筆者は自殺ではなくPCとスマホを使える人にしか生活をさせない社会に殺される。もう一度書く。自殺ではない。社会に殺されるのである。しかも餓死という残忍な殺し方で殺されるのである。
まぁどうせ筆者が死んでもこんなブログは誰も見ないと思う。それは間違いない。近いうちに筆者は誰とも連絡する手段はなくなり強制的に友人を取り上げられるであろう。たぶん、何年か先に「あれ、あいつ○○どうしてるんだろう?」と思う友人はいるだろうが確認すら出来ないで消えていくんだと思う。
そう遠い先の話ではない。解っている。世の中を恨みながら死に逝く人生の終わりは予測してはいなかったが、人生の終わりとはそんなモンなのかも知れない。先日、唯一の筆者を想ってくれていた者の葬儀を済ませた。もうこの世に筆者を愛してくれる者はいない。知り合いは沢山いるが彼等は筆者を頼るだけで誰一人私を愛してはいない。餓死は辛いが誰とも関わらずに死ぬ・・・・・ある意味、筆者にはそれが幸せな死に様なのかも知れない。
殺される事に変わりはないが・・・・・・
