Tokyo
ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」。脚本が坂元裕二さんで、台詞がなかなか良いのでちょっと丁寧に見たいドラマと、前にもFacebookに書いた。
第7話。話はかなり進み、でも特に元夫3人とは人生が再交差するという感じではなさそうだが、それぞれ新しい事がありそうな、なさそうな。
まだ見てない人はごめんね。ネタバレなので知りたくない人はここから先は読まないで。深く心に響いた長台詞があったんだ。
とわ子にはちょっと変わった感じの『かごめ』という幼なじみ(女の子)がいる。なかなかいい感じのキャラだったんだけど、突然亡くなってしまう。淡々と日々は過ぎていく感じ(泣きわめくとかそういうのではなく)ではあったんだけど、とわ子としてはなんとなく実感がわかないような、わくような。。。雰囲気を出していたんだけど、、、
ラジオ体操でいっしょだった、お兄さん(おじさん?オダギリジョー)とひょんな事で話をするきっかけがあって、そこで、好きな人の話(かごめのはなし)をする大豆田とわ子。
最後の電話に出れなかったこと。一人にしてしまったこと。いろいろ悔やんでいたとわ子が、
「みんな言うんです、まだ若かったしやり残したことがあったでしょうね、悔やまれますよね、残念ですよね」「だったら私たち、大人になんてならなくてよかったなって」
その後オダギリジョーの台詞に、あ。。。。って、思ったんだ。観終わった後、このシーンをもう一度見ようと思って消さないようにプロテクトをかけた。そして今日もう一度見てみた。
「無いと思いますよ。いや、人間には、やり残したことなんてないと思います。その人はあなたの幼なじみだったんですよね。」
「じゃぁ、10歳の時のかごめさんも、20歳の時のかごめさんも、30歳の時のかごめさんも知っている。」
「あのぉ、過去とか未来とか現在とか、そういうものってどっかの誰かが勝手に決めたものだと思うんです。時間って、別に過ぎてゆくものじゃなくて、場所っていうか、別のところにあるものだと思うんです。」
「人間は現在だけを生きてるんじゃない。
5歳、10歳、20歳、30、40。その時その時を人は懸命に生きてて、それは別に過ぎ去ってしまったものなんか、じゃなくて、あなたが笑ってる彼女を見たことがあるなら、彼女は今も笑っているし、
5歳のあなたと5歳の彼女は、今も手を繋いでいて、今からだって、いつだって気持ちを伝えることができる。」
(私の考え:これってちょっと難しいかもしれないけど、その時(点)として考えると、その点を覗くとそのシーンがポップアップする、、みたいな事かなって思う。)
「人生って小説や映画じゃないもん。幸せな結末も、悲しい結末も、やり残したこともない。
あるのは、その人がどういう人だったか、っていうことだけです。」
「だから、人生には2つのルールがあって、亡くなった人を不幸だと思ってはならない。生きてる人は幸せを目指さなければならない。人はときどき寂しくなるけど人生を楽しめる。楽しんでいいに決まってる」
なんか、このえ?って思うような台詞、心に刺さって、そして温かい気持ちになった。
今だからそう思えるのかもしれないけど。
坂元さんって、私と同世代なんだよね。どんな本を読んだり、勉強するとこんな事考えられるのかな?一度もこんな発想になった事がなかったので少し驚きもした。
何度か書いたことがある、高校の時にすごく好きだったT君(違う高校)。12年前に突然亡くなってしまった。本当に突然で。亡くなった事を知った時、あまりにもショックで吐きそうになった。(あんまりショックだとそんなことがあるんだと知った。)
最後に会ったのは高2の終わりだ。電話でどんな話をしたのかも、結構はっきり覚えている。
大人になって、35くらいだったかな。また友人としてメールでやりとりが始まって。日本に帰ったら会おう、そう思っていた。なのに、会わないまま彼は逝ってまった。
亡くなった時はまだお子さんも小さくて。。。やり残した事もたくさん有っただろうし、自分が死んだなんて自覚すらないだろう。凄く忙しくしていて、睡眠も少なく、体調大丈夫かな、、なんて思ってたのに、なぜ「少し休みなよ」って言ってあげなかったんだろう。。。自分が出来た事があったんじゃないか。会おう、会おうって思ってたのに、どうして会いに行かなかったんだろう。そんなことがグルグル頭を巡ったし、涙が止まらなかった。
その後も夢を見ることがあって、「あ、しばらくメールしてないな。メールしなくちゃ。」って起きて、もういないんだ、、、って思い出して急に悲しくなったり。ずいぶん長く尾を引いていた。友人といっても、自分に大きな影響を与えている人だったからね。自分の人生のモデルみたいな感じだったから。
彼はこうしたかっただろう、悔しいだろう、そう思ったりしたけど、それはやっぱり2番目のことだったかな。
私が悲しかったのは、今も悔やまれるのは、もう会う事は出来ない、、、という事だ。
悔しい気持ちは、どうしようも出来ないので、だんだん封じ込められていく(考えないようにしてきた)けれど、それでもシツコイ性格なのか、思い出すと悔やまれてね。
でも、今はね、この台詞のように、私の中に残っているのは「T君がどういう人だったか」という事なんだよね。
たくさんの思い出があるわけでは無いんだけど(何しろ違う学校だし)、でも大人になってから影響受けたことや、元気をもらってた事や、高校の頃話したことや、一緒にしたことなんかは、今でも鮮明なんだよね。不思議だよね。
どう消化すればいいのかなんて、きっと一生わからないんだと思うし、消化する必要もないのかな。12年たっても12年前に思ってた事、その時点での17の時の思い出。変わってないんだもん。
「その人がどういう人だったか」これって主観ね。自分から見ての相手。人によっては違う事もあるし、知らないこともある。だから自分にとっての、、、好きだった人のこと。それが全てなんだよね。
『好きな人の話』『そういう人だった』それは変わらないし、いつでもそこに戻れる。
このドラマの台詞で、『そっか、そういう事か。。。』って思ったよ。
T君が亡くなってしまって、大後悔をしたので、会いたいって思う人には会うようにしてるし、50を過ぎてからは、ストレスのない気持ちのいい日を多く過ごす、、というのを目標に頑張ってるよ。まぁ、時々、思うようにはならないけどさ。
そう、『生きてる人は幸せを目指さなければならない。人はときどき寂しくなるけど人生を楽しめる。楽しんでいいに決まってる』
坂元さん、あなたって凄い。多分、多くの人の胸にこのオダギリジョーの長台詞は刺さったと思うよ。ありがとう。
それでもさ、やっぱり会えなくなる、、、って寂しいじゃない。だから、私は自分の周りの人には私より先に逝かないで欲しいって思ってるよ。
今、好きな人?そうだね。。。いつも言ってるよ。「私より先に逝ったらダメだよ。よ~く私のこと焼いて、灰はどこかに撒いてね。そうしたら私はいつでも風にのってそばにいれるでしょ。」って。(娘は耳にタコだと思うw)
『幸せを目指そう!』
自分が笑顔でいれたら、今周りにいる人も、あっちに先に行っちゃった人も、みんな笑顔でいるんだよね。
私の好きな人たち、みんなに愛を込めて。