昨日の記事

http://ameblo.jp/ontheturf/entry-11146094711.html

を投稿した後、自宅でニュースを見ていたら、漫画家の井上雄彦が建築家のガウディに惹かれているという話を紹介していた。


偉大な作品サグラダファミリアが130年経った今もなお建築中であることを例に、急ぐことで大事なものを失っているのではないかと感じているようである。


尾崎豊も、正確ではないが、COOKIEという歌の中で、「急ぎ過ぎた世界の過ちを取り戻そう」という歌詞を書いていたと記憶している。

特段の大きな不自由も無く暮らせているうちは、社会に流されているだけの人生でも、大きな疑問を持つことはないであろう。


むしろ、疑問を感じて訴える人間は、「社会性のない情けない人間」と思われているのかもしれない。


しかし、それでは生まれてから何の疑問も感じず、毎日餌を与えられている状況に不自由を感じず、最後は食肉にされていく家畜の一生と同じではなかろうか。


与えられたルール(法律)に何の疑問も感じず、今の社会に流されているだけで幸せだと考えるのは、人間として生まれた意味を全うしていないように思う。


人類の未来を考えず、今の状況に疑問を感じないまま流されて終えてしまう人生は、ある意味不幸な人生ではないかと感じ始めている。


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