私は膝下を切断した義足使用者なので、立派な障害者です(別に威張ることではない)。
自分がこうなってから、以前よりも障害者のことや、特に義足使用者の話題は気になるようになりました。
切断手術前後は、YouTubeで義足の皆さんがスタスタと歩いている様子、充実した楽しい毎日を送っている様子を見て、心の支えにしていました。
何しろ私の入院先はがんの専門病院です。
整形外科系病院と違って、他に四肢切断者はいなくて私一人。
悩みの共有も情報交換もできず孤独な日々を送っていましたので、ネットが唯一の生きた情報源でした。
特にリオデジャネイロ五輪閉会式での義足モデルGimicoさんの歩きには目を見張りました

大腿義足にハイヒールで実にクールに歩いていらっしゃって、うっとり

義足ダンサー大前光市さんのダンスに至っては、最早人間業ではありませんでした

今でも気が付いたときにYouTubeで義足の方の様子をチェックしているのですが、
少し前に義足使用者の方の動画に対するコメントで、
「足を切断して義足なのに、笑って話しているのがすごく気持ち悪い。」といった内容が目に留まりました。
(正確に覚えていなくてすみません
)

「足の切断が気持ち悪い」でも「義足が気持ち悪い」でもなく、「笑って話しているのが気持ち悪い」って…。
障害や病気がある人は、常に悩んで悲しんで辛い表情をしていなければいけないの?
健常者から見て障害者は哀れみの対象でなければいけないの?
普通に生活している障害者にイラッとくるの?
と、かなりムカムカしてしまいました

他にも
「周りの色んな人に迷惑をかけているのに、ヘラヘラと喋るなんて!」と、お怒りの人も。
いや、あなたは本当に誰にも迷惑を掛けずに今まで生きてきたんですか?

動画を上げた方は、確かに今では笑顔で義足生活について話していますが、この心境になるまでにどれほどの絶望と、どれほどの苦痛を味わって、それを乗り越えてきたのか。
そんなことも理解できず、心無い非難を浴びせる人間がいることは、残念で堪りません。
それに、足を切断して悲しんでいる動画は、健常者にはうけるかもしれませんが、足を切断している当事者を励ますものには到底なり得ません。
動画を上げた方は「義足について知ってほしい」という意図に加えて「義足の人を励ましたい
」という意図もあったのではないでしょうか。

そう考えると、悲しみに暮れている動画なんて全く方向性がずれてしまうと思います。
もちろん障害者や病気の人を嫌だなと思ったり、ましてや匿名とはいえ発信してしまう方は少数だとは思います。
でも…、
「義足なのに頑張っているんだから、私ももっと頑張らないと」とか、
「足を失ったのにすごいですね!私なら絶対耐えられない」とか、
「あなたの悩みに比べたら、私の悩みなんて本当に些細なこと。健康なだけ恵まれている」とか、
一見良いことを言ってるようで、実は障害者や病気の人を下に見ているようなコメントって、結構たくさんありませんか?
そこはかとなく嫌な気分になりますよ、当事者としては。
私たちは健常者を元気付ける道具ではありません

これも一種の「感動ポルノ」なのでしょうか。
まだまだ垣根は高いようです
