今日は朝6時40分に起床。強風のビル風もなく、ぐっすりホテルで眠れました。
亘理駅行きの電車も代行JRバスもスムーズに運行し、新地町のボラセンには8時40分頃に到着しました。
受付で並んでいると、昨日わざわざJR仙台駅までマイカーで送っていただいたMさんに声をかけていただき、
今日も行動を共にすることを約束いたしました。
昨日の夜より、Yさん三男坊が合流し、ボラ活動拠点へは、Yさん親子と僕の3人で車移動することになります。
午前中は、W邸の家財と泥の搬出と、家周りのゴミの撤去を実施しました。
W邸の世帯主様はご高齢もあり、残念ながら津波でお亡くなりになられたとのこと。家は取り壊される予定で、
家財道具の中でも貴重な品は残し、津波に浸かったほとんどは廃棄として、庭先に撤去しました。
昼休憩はボラ達の交流の時間でもあり、今日、札幌に帰る男性と記念写真を撮ったり、神戸の女性と熊本の男性ともいろいろな話で盛り上がりました。心の場所が同じなので、初対面でも楽しく疲れません。
午後は、H邸の敷地周りの側溝の泥撤去を実施。約50mほどの長さがある側溝をみんなで泥撤去しました。
最初は半分の20m弱しかご要望がなかったのですが、ボラ20人で、その左右も延長して実施しました。
作業終了後は、兵庫から来たMさんのご提案で、阿武隈川源流近くの国民宿舎あぶくま荘に、
3人で温泉つかり行ってまいりました。
Yさん親子は昨日相馬にて車中泊されており、お風呂に入れなかったようで、2日ぶりの入浴で確り身体洗っていました。
僕もしばらくホテルの狭いバスタブの毎日だったこともあり、温泉は心も身体も癒してくれました。
JR相馬駅までの帰りにの車で、Yさんが明日の提案として、南相馬のボラセンに抵抗無ければ参加しないかと、
言っていただきました。 本心は2つ返事でOKなのですが、20代半ばの息子も同行するので、そちらの方が、
気になりました。
とうとう、ガイガーカウンターと安定ヨウ素剤を使用することになりそうです。
僕とYさんはあまり必要ないかもしれませんが、息子さんには絶対、安定ヨウ素剤を飲んで頂こうと思っています。
相馬駅へ行く途中、相馬ボラセンに、明日の南相馬に2つあるボラセンの電話番号を聞きに立ち寄りました。
その際、明日のボラセン活動のミーティングを必死にやっている声が聞こえてきました。
相馬駅に着いた頃、雨が降ってきて、常磐線のJR相馬駅からJR亘理駅間は普通の為、JR代行バスに乗って帰らないといけないのですが、数分前にバスから降りようとした人が滑り落ち救急扱いの事故として発車予定が20分ほど遅れてしまいました。
バスには僕を含め2人。共にボラのようで、バスの窓の外には、ボラを受けたオヤジさんが、雨の中手を振って、見送っていました。
亘理駅から仙台駅は電車で移動ですが、雨の中、男子学生が車中で堂々と携帯電話で話中。
「放射の雨に濡れたよ。。。。云々」友達と話をしているようで、途中から、わざわざ客はほとんど居ない車中、
僕の前の席に移り座り、携帯電話で話し続けていました。
僕は複雑な気持ちになりました。
大人としてハッキリ忠告することもできますが、今回はできません。
彼と目が合ったとき、思春期のギラギラした目ではなく、非常な恐れと、迷いと悲しみの視線を感じたからです。
少しでも携帯で誰かと繋がることで、一定の気分を維持しているのでしょう。
大人は隠せても、子供は正直です。仙台駅の若者の笑い声も、車中の携帯電話も、その裏返しなのかもしれません。
僕はボラで来ているだけで、後4日で被害地から離れることができますが、子ども達の故郷はここ災害地なんです。それを思うと、僕も含め大人や先代の間違った選択の犠牲者でもあります。
だから、彼ら子どもに向かって正しい忠告をする自覚が持てません。混乱してしまいます。
僕がそう思うくらいですから、災害地の子ども達は大人から見捨てられた感をいだいているに違いありません。
見える復興やボラは着実に進むでしょうが、子ども達の将来のことを思うと戸惑いと責任を感じます。
JR仙台駅に着いてからは、事前に調べていたネパール料理店へ行ってきました。ベジタブル料理とビールを注文。店主もお客さんもアットホームで、ここ最近の夜食が立食いザルそばだったので、久しぶりに温かいご飯をいただくことができました。 気分は安定しました。
明日は朝6時起床、新地町バス停まで一人で行き、Yさん出迎えで南相馬のボラセンに行く予定です。
そろそろ眠ります。