悩んでいる友人に向けられた別の友人の言葉が引っかかる。

 

「仕事中、トイレの個室に入って泣いている。私鬱なのかな。」

→「誰にだって悩みはあるし、診断したらほとんどの人が鬱だから」

 

だから安心して?

だから大丈夫?

他の人が大丈夫だから、彼女が大丈夫?

どんな理屈だろう。

 

悪気はないだろうし、励まそうとしているのは伝わる。でも、私の心に引っかかる。

配慮することはできても、どの程度苦しいとか辛いとか、他人の感情を測ることはできない。

 

 

私が体調が優れずに思うように動けないことを悩んでいるときも

→「誰だって何か不安を抱えているものだよ。」

 

それがどうした?

不安を抱えることが「一般的」ということは伝わった。

でも、他の人も不安を抱えていたとして、私の状態は変わらない。

 

抱える不安が一般的なものであることが、彼女にとっては安心だから、教えてくれたのかもしれない。

安心の感じ方は人それぞれ。そこにとやかく言うのは野暮だ。ごめんなさい。

 

ただ、この投稿を読んでいるあなたが、

信頼している人に「他の人だって我慢している」とか、「誰しも通る道だよ」とか言われても、自分の中にある、感情は押し殺さないで欲しい。

 

この世界に間違いなくある感情は自分のものだけ。自分の世界において、他の人の感情は妄想でしかない。

だから、確かなものを大切にして欲しい。

 

*

 

考えれば考えるほど、友人のことが心配になる。

いつも、他の人も同じだからと言い聞かせて、我慢しているんじゃないだろうか?それって、つらくないのかな?

 

もし、私が彼女にとって弱音を吐ける相手だとしたら、いつでも話して欲しい。

 

 

かいゆう