双子を夫婦だけで自宅出産 その2 | 6人の子どもをプライベート自宅出産。ジプシーファミリーの母きのこです。

6人の子どもをプライベート自宅出産。ジプシーファミリーの母きのこです。

6人の子どもたちを場所を変えかえ、プライベート自宅出産、初産双子、長男はインド産まれ。学校に行かずホームスクーリング3年目。楽しく自由に暮らすジプシーファミリー。きのこのお笑いあり涙ありのブログ☆

おはようございます
和歌山もついに昨日雪が降り、だいぶ冷え込みました~

寒いので、皆様体調にお気をつけくださいませ。


今日は双子の出産の続きを書きます~
お楽しみくださいませ


 



     2009年8月17日


一番はじめの陣痛を感じてからなんと3日目になろうとしていた。
昨日産まれたのんちゃんの胎盤を出そうと、私は胎盤でて、胎盤でて~~とそこに意識を集中していた。



無事に産まれた第1子とへその緒は繋がったままだ。
陣痛のたびに、身動きがとりづらいのに、疲れはててきていた。




私たちは夫婦だけの自宅出産をするにあたり、何冊かの本を読んでいたのだが、最も参考にしていた本に、胎盤がでるまで
へその緒は切らないやり方もある。
原住民や部族の多くはそのやり方をとっているらしいとかいてあった。



産まれたばかりの赤ちゃんのへその緒は太く、まだまだ、血液も通っているし、ドクドクと生きている。

旦那は初めてそれを見たとき、すぐにきるべきものではないと、直感で感じたそうだ。


私たちは胎盤がでるまで切らないでいようかと、打ち合わせしていた。

しかしながら実際は50センチあるかないかのおまたから出たへその緒と赤ちゃんの距離は、陣痛最中のわたしには自由に動きまわれないということで、窮屈に感じた。

赤ちゃんのケアはすべて旦那にまかせていたのだ。
おしっこや、うんちのおしめがえも旦那がしてくれて、私は陣痛に集中していた。


ついに決めた、お昼前に


「へその緒を切ってほしい」
と申し出た。

当時かなりの原理主義者だった旦那さんはいやがるかと思ったが、すんなり、


「そうか、ほな切ろうか」と快くその準備にとりかかってくれた。


妊婦本人の意思を尊重してくれたのが嬉しかった。





殺菌消毒したタコ糸でしばるべきところのへその緒を優しくしごき、二ヶ所を結ぶ。
そして何センチかの間をあけ切るのだが、
体内記憶を持って産まれてくる、敏感な赤ちゃんたちは、病院出産などで、へその緒を切ってくれた看護婦さんのまえで泣いたりするこもいる、へその緒を切られたのが怖かったという子もいるらしいというのを
、本で読んでいた為、ハサミをつかうことはためらわれた。

後で聞いた話が、旦那が選んだのはなんとまあ、自分の爪!
爪で切ったという。
だいぶ手こずっているなあ~と思っていたのだが、まさかの爪とは。

よくきれたな。





切ったところにはガジュツ末という紫ウコンのパウダーをまぶす。
こうしておいたら殺菌効果と化膿防止になる。



のんちゃんの胎盤はまだ私の中だが、自由に動けるという点で楽になった。


しかし、なんとこの日も赤ちゃんはもちろん胎盤も出てこなかった~~。




        8月18日
           
         陣痛4日目

  
さすがにお腹の子は大丈夫かなというのがよぎりだしたが、陣痛があるし、妊婦のときに話を聞いた友達が、1人を3日かかって産んだと言っていた。


親が陣痛促進剤を打たれて、子を出産しているとその子も出産が長引くらしいとか、いろいろな説がある。わたしを産んでくれた母親は、職業は看護婦さんで、病院出産、促進剤ももちろん打たれ、会陰切開も当たり前だという。

もちろんそんなの関係ないのかもしれないし、個人の体調とかいろいろでとにかく出産は十人十色。
時間も人それぞれなのだ。

病院は都合もあるし、そんなに待てば産婦にもよくないと、待つことは稀だろう。






そのお友達は3日かかっても助産院で無事に出産した。
陣痛中、自分を励ますために、回転寿しに、行ったり、鍼を打ってもらったともいっていた。


いろいろなスタイルがあるなと勉強になったのを覚えている。



お昼が過ぎ、わたしはこの4日間で口にしたのは、水やお茶や梅醤番茶、そしてキウイフルーツ4切れと記憶している。

体力もいよいよ限界にきていたきがする。

もう産みたい、産まなきゃ、産まれてという想いが強まり、
ちからづくというか、いきむ力もあまりないのだが、陣痛の波の度に産もうと試みた。

時間はまた夕方近くになっていた。

ひとりでは無理と確信し、旦那さんに協力してもらうことにした。

昔の人は産綱といって、天井から綱を垂らしてそれをつかんで産んだと聞いたことがあるが、あったら使えたなと思った。

向かい合っては少し照れくさい気がしたので、うしろをむいてもらいひざつきでかがんでもらいらわたしは彼の肩をつかんで中腰であしを開きいきんだ。
陣痛のたびにやってみるがでない。
そのうち、またもう産めるだろうという、ビッグウエーブがきて、いきんでみる。
とくに動きが感じられないし、なんかわけがわからなくなってきて、旦那さんにこちらをむいてもらい、どうなってるか見てもらうと、まるくてつるつるのものがもうそこまできてるという!
胎盤やぁ~と、安心していきむ。
足元にキッチンのボウルを用意し、とにかくめいいっぱいいきんだ。
ヴゔゔゔゔーーーーーっっん

ゆっくりとでてきてボウルにドロンとでていく。


「あああ~~~これ胎盤じゃない~
赤ちゃんや~~~~~~~」

旦那の驚いた声が産屋に響き、
わたしはやってしまったと思った。

なぜなら、胎盤と思ってボウルに産み落としたそれは、全く泣くようすもなく、動きもしない静かな赤ちゃんだったのだ。



赤ちゃん、息が止まってしまってるのか、ダメだったのかなというおもいがよぎる、そうこうしてるうちに、すごい子宮の収縮がはじまり、立っていられない、目もあけていられない、とにかく座りたいという衝動にかられ、こしをおろそうとすると、そこに赤ちゃんがいるからと旦那に注意される。

旦那さんは赤ちゃんに話かけている、大丈夫やで~とかいいながら鼻に口をあて、何か吸っているようだ。

わたしは意識がもうろうとして、よくわからない?赤ちゃんは生きているのか?
ちらっと見たら、ストッキングを頭からかぶって変な顔になってる芸人さんがいるが、あんなかんじの小さな赤ちゃんが旦那に抱かれているのだ。
もうわけがわからない。

聞いてみると、膜をかぶってるらしい。


袋子だ。(ふくろご)

外国ではラッキ~ベイビーと呼ばれるらしい。


羊膜をかぶったまま産まれて来る子はお腹にいる感覚のまま
外にでてきて、膜がやぶれるまで、呼吸にも負担がかからず、安心に包まれているらしい。だからでてきても泣かないし、ぽよんとしている。

旦那はまたもや爪で膜をやぶり、念のため、鼻に羊水とかがつまっていないかと
吸ったらしいが、後で考えたら、これも必要なかったと思ったらしい。


とにかく赤ちゃんは生きていて、少しずつ、ふぇっふえっと声も聞こえ、安心した。


私たちはあらかじめ二卵性双生児ということを知っていた。

卵はふたつ。
それぞれに赤ちゃんがはいっていて胎盤もふたつ。
そこにそれぞれのへその緒が繋がっている。



急激なスピードで収縮した子宮から胎盤がゆっくりとはがれおち、2人目の赤ちゃんがでて、あたふたしてる間にまた胎盤がドゥロ~~ンとでてきた。

この時のスッキリ感といったらなかった。
もう休んでいいんだと思った。

産みの仕事は終わった。

胎盤はふたつと思っていたが、ふたつがくっついてでてきた。
これはでてくるまでわからなかった。
別々にでると思っていた。





全て正常に、時間すらかかったものの、母体に負担をかけず、ゆっくりと赤ちゃんたちは出てきてくれたのだ。


長丁場で、4日目にわたった2人目はふくろごで最後まで守られゆっくりとひとりの時間を楽しんだかのようにでてきた。
陣痛時にお腹の赤ちゃんが大きく回転した感覚があったが、おそらく、1人目がでて、広くなったおなかのなかで、回転して頭からでてきたのではとわたしたちは推察した。

病院では双子の場合逆子は問題にしないらしい。
そのほうが広いから、大抵ひとりは逆子だったりすると聞いていた。


私たちは素晴らしいお産で安産だったなと振り返る。


旦那は2人目のへその緒は木べらで切ったらしい。

4日間の長丁場、タケルちゃんもほんとによくやってくれた。


赤ちゃんは3日分のお弁当をもって産まれて来るときいていたので、おっぱいをあげることに焦りをかんじなかった。

その間、湯冷ましをあげたりはしたが、おっぱいをあけだしたのは生後3日目くらいだったとおもう。
お腹にいた時の胎便という、海苔の佃煮のような黒かったり、緑だったりのウンチができってからおっぱいをあげることにしてる。




服を着替え、布団に横になり、ある程度出血も落ち着くと、食欲もでてきた。

胎盤食べるか?と聞かれ、楽しみにしていた、胡麻油、ねぎ、塩で生で少しいただいた。

はじめての自分の身体の一部だった胎盤は、しっかりと身が締まり、
普段お肉を控えていた私にとって、ご馳走と言えるほど美味しくて、びっくりした。
何切れかたべたあと、またまだ食べれる気がして、おかわりし、その後
旦那さんお手製の全粒粉100パーセントのうどんをいただいた。
すごいワイルドな味だったけれど、不思議なことに産後毎回思い出す。
食べたくなる、暖かいパワーフードだ。




寝息を立てるふたりの赤ちゃんの間に横になると、ふたりの匂いを噛み締めたり、大きな安心に包まれ、この上ない幸せを感じ、涙が溢れた。
こないだまでお腹にいたのに。
無事に育って、でてきてくれた。
宇宙の神秘に感謝します。


どこまでも、どこまでも。




産後ふたりの子は

望 ほう と朔 さくという名になった。
ふたりとも女の子だ。

ほうはつるんとでてきたが、さくの頭のかたちは大きく丸く、だからなかなかでなかったんだなとあとで思った。
今もさくは頭が丸い。
















こんな感じで双子の出産は無事に行われました。
お話会では、ジェスチャーつきで、当時を振り返ったり、旦那さんの生のこえや、感想など、わたしとは違った視点での言葉がきけたり、なかなか面白い内容になっています。
またタイミングがあれば、地方にも遊びに行ってお話したいです。
呼んでくださる方がおりましたらまた、ご連絡下さいませ





kinoko.yamanonaka@hotmail.com


次回は双子の子育てをさくっと振り返り、第3子の出産につなげていきますね~

またお時間ある方、読んでいただけたら嬉しいです




ステキな1日を

愛と光をこめて




2月の12日~20日で東京にてシータヒーリング®基礎セミナー開催予定してます。
気になる方はぜひお問い合わせください
 
いっしょに楽しみましょう


いつもありがとうございます