大岡越前の弟? | 温故痴人のブログ

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大岡越前の弟?かも知れない

奉行所跡の石碑に出会いました。


江戸南町奉行は大岡越前でしたが、

大阪にも東西奉行所が在ったようです。


大阪城近くの合同庁舎の横にその東町奉行所跡の石碑はありました。

貧相な石碑ですが、今の府警本部の前身?です。(裁判も兼務していた・・・)


今は、歩道の拡張工事で一時掘り起こされていますが、

もう暫くすると安住の地に設置されることでしょう。


「大塩平八郎の乱」で有名な大塩平八郎も東町奉行所の与力であったそうな!


江戸後期の陽明学者で大塩の乱の首謀者。大阪出身。

父は大阪町奉行所与力(よりき)で大塩家は禄高200石の裕福な旗本だった。

13歳頃、与力見習いとして東町奉行所に出仕、1818年(25歳)正式に与力となる。

「与力」は今で言う警察機構の中堅

署長が奉行で、与力は部下の「同心」たちを指揮している。

翌年には吟味役(裁判官)となり、裁定に鋭い手腕を発揮した。

大塩は20代から陽明学を学んでおり、

職務を通して

陽明学の基本精神

良いと知りながら実行しなければ本当の知識ではない”を実践していく。


【参考】

大坂町奉行(おおさかまちぶぎょう)は、江戸幕府 大坂 に設置した遠国奉行 の1つ。

東西の奉行所が設置され、江戸 町奉行 と同様に東西1ヶ月ごとの月番制 を取った。

初名は大坂郡代(おさかぐんだい)。


老中 支配下で大坂三郷 及び摂津 河内国 の支配を目的としていた。



                                                     2011.09.19(NO:32)


            大阪城を望む合同庁舎の前にありました。

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                     歩道工事で仮置き中

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