こんばんは。ヒロキです。
昨夜、何となく目に留まった「長沙狸915」という映画。
舞台は朝鮮戦争時の慶尚北道の長沙里。ソ連の支援を受けていた北朝鮮軍が韓国軍(国連軍)は釜山近郊まで押し込まれていた。
マッカーサー率いる国連軍は仁川上陸作戦を計画。その裏で、陽動作戦として仁川と反対側(日本海側)に位置する長沙里に上陸作戦を行う。いわゆる、おとり、捨て駒ですね。短期間の訓練と少ない食糧・物資で作戦を敢行するのですが、部隊の多くは17歳ほどの学生たち772人。はたして・・・。
北朝鮮軍が、南へ南へと進軍していきますと、元々は韓国領内出会った地域も一時的でも北朝鮮軍の支配下になるわけで、親族同士で北と南に分かれて戦わざるを得ないこともあったようです。
学徒出陣といいますと、明治神宮外苑競技場で東条英機首相の前で行進している様子が「きけ、わだつみの声」などの映画のシーンにも出てきますが、考えてみれば、何も日本軍だけが学徒動員したわけではなく、ドイツ軍もそうであったし、朝鮮戦争でも当然そうであったんですよね。
学生だからダメとか、成人していれば良いとかいうつもりもないですし、誰であっても、戦争というものに駆り出されることは言葉では言い表せない様々な感情が入り混じっているんだろうなと思います。できることならば経験はしたくないことです。
ただ、今、現実に戦争が起きていることを見ますと、何ともやるせない気持ちになります。
「プライベートライアン」のノルマンディー上陸作戦もそうでしたし、「硫黄島からの手紙」や、この「長沙里915」もそうでしたが、上陸しようと揚陸艦の扉が開いた瞬間、海岸につく前に陸からの攻撃で倒れていく者、海岸についてもそこで、地雷や銃弾に倒れる者が多数いるんですよね。あっという間ですよ。バタバタと倒れていきます。
司令官や政府の高官は離れたところで指揮を執っています。弾はとんできません。戦争とはそういうものだし真っ先に逝くのは現場の兵士たちです。無論、指揮官が真っ先にやられたらそれはそれで、困るのだけれでも、捨て駒にされた彼らにも・・・ね・・・、家族がいて、人生の物語があって・・・。夢があって・・・。
とは言いながらも、きれいごとかもなぁと思ったり。でも、日本人だろうが、韓国人だろうが、仲間や家族に対する思い、先に逝ってしまった戦友に対する思いって同じなんだよなぁって映画を見ていて感じました。
北朝鮮軍だって一人ひとり同じ気持ちだっただろうし、今でいえば、ウクライナの人々も、前線にいるロシア軍の兵士も基本同じなんだろうと思いますよ。
薄い感想でしょ(笑)でも、映画は薄くなかったですよ。いろいろ考えさせられました。