先日、ブログで『世界の中の自分なのか 自分の中の世界なのか問題』という記事を書きましたが、
意外なところに突破口がびっくり


BUMP OF CHICKENの『虹を待つ人』を聴いていて思ったこと。



この歌色即是空を歌っている!

もう私的には藤くん、こんな悟った歌詞を書くなんて本格的に覚醒してんじゃないかと思えてならないんですがガーンガーンガーン
ネットで確認しても私と同じような解釈してる人はいないのですが、私はわりと確信めいています。


初期の頃は自己観察でご自愛が得意なのかしら?程度だった認識が、後半にいくにつれて本格的に悟ってる人しか書けない歌詞になっていく感じがとてもしている。。。




虹を待つ人の歌詞を抜粋すると
生きようとする体を 音は隅まで知っている
目を開けたって同じ 自分で作る色


音は「空」で、「自分で作る色」は「色」

音という目には見えないけど確かに存在していて
人々を感動させたり心揺さぶられる、しかも空間を通じて伝わる音と「空」をかけている。
どこまでたっても、空間は自己を包んでくれている。





見えない壁で囲まれた部屋 命に触れて確かめている

「見えない壁で囲まれた部屋」というのは、自分と自分以外を分ける境界線のこと。
人としての身体の境界線としてもいいかもしれませんが、無意識に感じている自分のフィールドのことを「見えない壁」って表現してる。

「命に触れて確かめている」 というのは個として生きていると実感しているってところでしょうか。


そのドアに鍵は無い
開けようとしないから 知らなかっただけ
初めからずっと自由


ここがもう、サビでありながら悟りのこと言ってるとしか聞こえない!

「そのドアに鍵は無い」というのは、自分と自分以外を分ける 境界線は本当は無いということ!!
またはそのドアの鍵は自分で作ってるということ。


「開けようとしないから 知らなかっただけ
はじめからずっと自由」
と言うのは、はじめからずっと「空」でも「色」でもあるんだと言うのを「自由」という言葉で表現している。そんな風に思うんですよねぇ。。。

悟った人とか、達人さんがよく言う、初めからみんな悟ってる とか、みんな最初から知ってた
という世界観ですね。




この歌を聞いたら、『世界の中の私か 私の中の世界か?』については、
決められない!というか決めようとする事すら意味がないんじゃないか?
って思えてきました。
そういったら元も子もないんだと思いますけれども、悟り系のパラドックスなのかもしれませんが。

色も空も両方、矛盾なく存在していて、
意識によって自由に選択できるのが私たちの生きている世界。

そもそも個としての自分と、全体としての自分というのを
わざわざ分けて分離させているのは
エゴであり個である私。
どこまでいってもエゴエゴ、エゴだなぁ。。。




そのドアに鍵は無い
開けようとしないから 知らなかっただけ
初めからずっと自由

それにしてもこのフレーズの凄いところは一般的な感覚だと、
大人になるにつれて習得していった他人の目とか、
常識とかのしがらみを解き放って自由になれ的なワードかと思えるところです。

そういう意味合いもあるんだと思うんですけれど、オブラートに包みながらも、わかる人にだけ解っちゃう表現。
そこに藤原基央が天才と言われる所以があると思います。

バンプの歌詞はとても深いからいろいろネタがあるから、シリーズ化してみようかしら。。。