今日、外出した時に初めての経験をしました。
ショッピングセンターヘ車で行き、車を降りて歩きながら【在るから手にする】を繰り返し心のなかで唱えながら店の中に入っていったら、「あれ? 私だらけ」という感覚になりました。
服を見ている人も私だし、雑貨を買っている人も私だし、CDショップの前を歩いているのも私だし、本を読んでいるのも私、定員さんも皆、私...はしゃいで走り回っている2才くらいの子も私、人は皆、私
と思って、ふと床を見たら、床のタイル一つひとつも私、天井の部分部分も全体も、展示されている商品の一つひとつも、みーんな私
世界全体も私、私が私を見て、私が私を買っている。
私が私のお金で買い物をしている。そうか、私はすべての私なんだから、私のお金なんだ。すべてのものも私、世界は私なんだから、すべては私のものなんだ。というような感じもありました。
見えないところにいる私が沢山いて、何兆円、世界中では合わせて云兆円持っているんだから、この私が持っているのと同じなんだという感じが生じていました。
なぜか「自分」という表現ではなく「私」という表現でした。
空気はどうなんだろう? と注意を向けたら、これも「私」。音も私、店内に流れている音楽も私。
何だか、吹き出しそうになりました。
自宅に帰ってきたら落ち着いて普通に戻りましたが、このタイプの体感をしたのは初めてでした。
視点は、いつも通りのこの個体に制約された1人称の視点のままで、ただ単に周りの人や物が「私」と表現するしかない感じになっただけでした。
周りの人や物が「私」と感じていた状態の時ですが、このたくさんいる「私」が、全であり個である私が、個であり全である私が、いろんなところで、様々な経験をし、喜怒哀楽を感じて生きているんだ、という感覚や思いも生じていました。
喜怒哀楽自体には優劣はなく、愛も憎しみも、快も苦も、等しく経験する価値があるものであり、それらを経験するために、この世界にやってきたのだ(この部分記憶が曖昧です)というような感じもありました。
いつものエゴシステムだと驚異を感じるはずの感覚ですが、このときは静かでした。
>>558の続きです。
昨日は興奮状態でしたが、朝起きてから願望への執着が一気に薄れました。
ぼんやりとした安心感と、いままでの数年間、自分が願いを叶えてきたと思い込んでいたエゴ視点の虚しさも感じて泣きました。
願望を確認して、叶っているんだなあ、現象にいつ表れるのかなあ、と嬉しい気持ちになることはあるんですが、叶わなかったらどうしようという不安はもうありません。
外に出かけたら、普段の生活では出会えないようなお金持ちの話を聞くことになり、何度もイメージしていた「好きなことをして余裕で暮らすお金持ち」のことを思い出しました。
以前の自分なら、金持ちの話なんて聞いても惨めになるだけだと思った場面ですが、
今回は、やっぱりあるんだ…と思いました。
そして、自分が実はお金持ちの生活をそんなに望んでいなかったこともわかりました。
何億もの資産がなくても、楽しんで好きなことを楽しんで暮らせる毎日を、今ちゃんと叶えています。
でもやっぱり現象も見てみたいので、より快に向かえるように内容を少し変えて、イメージは続けます。
叶っていることは確かなのに、いつ現象に見えるかは分からない感じです。すごい人なら、そろそろ現れるなあとかもわかるんでしょうか。
自分の体感は、完全な球体を外側から見ようとしていると思ったら、自分が球体そのものだった、という感じです。
>>566 >>567 >>573 >>578 を書いた者です。
コメントを頂いた皆さん、ありがとうございます。自分のことで精一杯なので続きを書いてレスの代わりとさせてください。
今日はもう何も起こらないと思っていたのですが、外出して用事を済ませて建物の外に出て歩きながら【在るから手にする】を中心にいくつかくり返し唱えていて、ふと空を見上げたら、突然前触れもなく「空がオレだ」となりました。すっきりした空がオレだなんていいなと心のどこかで感じつつ、視線を下げると、駐車場に止まっている車も乗り降りしている人たちも、樹木もアスファルトも全部がオレになってしまっていました。「私じゃないの?」と問うと「オレ」だと返事が返ってきました。「私」と思おうとすると今日は違和感がありまくりで通用しません。
車に乗って移動しながら、周りの車が全部オレ、運転しているのもオレ、周りの物も全部オレです。お気に入りの車種が目に入ったので「新しいクルマが欲しいな」とふと思ったら、「既に持っているじゃん!」みたいな感じになりました。「そんなことを言われても、あの車を所有しているのは自分じゃないんだけど」と思った途端、「運転しているのもオレだし、そもそも車がオレなんだから!」みたいな考えが浮かんできました。
どうも、オレオレの世界には、所有の概念がないようです。オレのカバンじゃなくて、カバンがオレ、オレの身体じゃなくて、身体がオレ、手や、足もオレ、目もオレ、全部オレという感じです。
しばらくして元に戻り、机で作業をしていた時に、ふと、こっぱみじんさんの
「そりゃそうだよな、叶っているのに叶ってないとか反対のこと思ってるから
イライラして不愉快なんだよな──。……。えっ!? はあ!?」
「あれっ!? 僕は今までどうして叶わないとか思ってたんだ!?」
という言葉を思い出しました。(前スレの177参照)
すると「願いはもうに叶っている。叶っていないと思っているだけ。」という考えが浮かんできて、エゴシステムが反論しようとすると「これまでも全部叶ってきたじゃん!?」と言って列挙し始めました。列挙されたものは、すべて願いがかなったものばかり、しかも10個もあったかどうか怪しい数でしたが、何故かエゴシステムが、全部叶ってきたと説得され沈黙してしまいました。
叶っていないことやものは沢山あったはずだし、現に今も叶っていないことはあるのに、です。どうしてなのかわかりませんが、マイナスのものが
、心の中から出てきません。かといって、ポジティブシンキングというわけでもないようです。次元が違います。
そうしているうちに、ふと恋愛のことが浮かびました。結婚するまで、複数の人にふられました。告白して駄目だった人たちもいました。なのに、「恋愛はすべて成就していた。全員オレの彼女だった」と言い始めるのです。理由は「彼女たちは、全員オレだから」だと。
またもやエゴシステムが説得されてしまいました。
「世界」=「オレ」のオレオレの世界では、全部がオレであり、既にある、既に叶っているになっていました。現在も過去も。未来も?
かなり無理矢理にではないとそう思えないのですが、「眼の前にない」と思っても、既に「ある」「叶っている」「持っている」ということになるようです。その感覚もその状態のときはありました。疑いようのない絶対的な感覚でした。
しばらくして、また普通の状態に戻ってしまいましたが、以前よりはフラットな感じです。世界も、自分も。
今、思い出したことが一つあります。昨日の「私」=「世界」の世界も、今日の「オレ」=「世界」の世界も、視覚映像がいつもよりクリアでした。電器店で超高画質のテレビを見ているような感じでした。
>>591 ですが、思い出したことがあります。
エゴシステムが納得して沈黙してしまった過程を思い出しました。
昨日、過去のうまくいかなかった恋愛のことを思い出したときですが、うまくいかなかった人たちと、それぞれ告白して付き合って結婚している世界も見えていました。他のことについても、様々な世界が見えていました。
たくさんの選択肢があり、それらの選択肢を選んで分岐した、それこそ多くの世界が同時に存在していて、それらのうちから自分で選んできたこと、今のこの世界も自分が選んでいることを見せられたというか、見ていました。
だから、自分の願いは10個に満たない数しか、かなっていないのではなく、すべてかなっていた、かなってきた。そういうことになってしまうのです。
これがエゴシステムが反論できずに納得してしまった理由のすべてではないかもしれませんが、大きな一つです。
今朝、目覚めるときに思い出してしまいました。
エゴシステム的には、自分で選んだと言われても選んだつもりはないわけですし、元の通常の状態に戻っている今の自分には、何が何だかわからないことです。