週末に89歳の友人に、友達と一緒に会いに行った! ← 毎週、電話をかけて来て、会いたいと言うから、、、(大笑)

 

毎回、昔の話を楽しそうにしてくれる。

 

じい様は元海軍兵の桜花部隊の特攻隊員だった!!! びっくりびっくりびっくり 

 

終戦後、アメリカに留学していたから、英語が話せます! ← 日本政府がお金を出してくれたそうです。ニコニコ

 

戦後は、食べ物も寝る場所もなかったという。このジイ様は瓦礫の山の中、自宅の五右衛門風呂にトタン屋根を付けて、寝床にしていたそう。

 

どうやって生活していたか? 

 

戦前、彼は呉服屋の息子だった。その周辺には遊郭街、芸者街があり、呉服屋の二階には置屋(遊女を抱えている料亭)があった。

そこに出入りしていたヤクザの親分に駅で出会い、戦前は彼の親父さんに世話になったからと言って、暫くは彼のお世話をしてくれたそうです。

 

空き缶を両足首に括り付けて、竹の棒の先に釘を取り付け、洋モク(外国製のタバコの吸い殻)と日本タバコの吸い殻を分けて、空き缶の中に入れて拾っていたそうです。当時、闇市で洋モクは高く売れていた。

 

その吸い殻から残った葉っぱを取り出し、辞書(コンサイス)の紙に入れ直し、割り箸を利用してクルクルっと巻き直してタバコを作っていた。

 

その他には、夜のお姉さん方(売春婦)の小間使い! これが一番儲かったと言う。爆  笑爆  笑爆  笑

 

昼夜問わず、3つの仕事を掛け持ちで、泣きながら、がむしゃらに働いたそうです。

 

闇市で儲けた軍資金を持って、ヤクザの親分繋がりの大阪へ行き、夜鳴きうどんの屋台の見習いとして雇われた。当時、大会社の課長クラスの月給が4千円! 夜鳴きうどんの屋台を引き、街中を鈴を鳴らしながら、うどんを売って歩いた。1年後には、中古の屋台を二万円で購入! その翌年には、仮土地と屋台10台を持つ親方になっていた。

 

彼はヤクザではないので、ご安心を! 

 

これが友人の最初の事業! じい様は私と同じく、話がよく飛ぶので、話の内容を整理するのに時間がかかります。(大笑) 

 

当時、生きるのに精一杯だったと思います。 人生の挫折を味わい、会社倒産、2度の経験を持ち、離婚歴1回! 

 

海軍魂があったからこそ、これまでやってこれたと話す。「全ての負け」は死に繋がり、終わりに繋がる。生きてこそ勝者になれるチャンスがあると、、、 「負け」という言葉も「負けっぱなし」という言葉も絶対に許されない! 負け=ギブアップ! どんなに困難な局面に遭遇しても、ギブアップ(負け)は通用しないと教え込まれていたあの時代! 

 

戦後の混乱期に、一人で苦しんだ時も泣いた時も、負けてたまるか、何くそ、もう一度、もう一度と、幾度となく立ち上がってきた! あの銃弾の中を生き抜いたのだ!必ず生き抜いてみせてやる!と自分自身に叱咤激励してきたと、、、

 

海軍でのあの鬼のような教官と、悪魔の化身かと思われるほどの助教員の指導が無かったら、今頃は人に踏み倒され、蹴飛ばされて、生きてはいなかったとじい様は話してくれました。(笑) 

 

そんな勇ましいじい様を自宅に連れて帰ったら、奥さんに叱られて小さくなってました。(大爆笑)爆  笑爆  笑爆  笑 

 

今日も1日、89歳に負けず、困難があっても、何度でも立ち上がりましょう! 爆  笑