エイブラハムのDVDから

とっても印象に残ったことをシェアします。

 

 

物質的な視点では理解できないけど

すべての人の死は自殺であるいうこと。

どんな形の死であろうと

自分で”決めてきた”ことである。

 

 

私にとってこの言葉は

かなり衝撃でした。

同時に”ホッと”しました。

 

 

今年の2月に

私の父が亡くなったからです。

 

 

あれから7か月。

このエイブラハムの言っている事が

やっと腑に落ちてきたところなんですよね。

 

 

 

「死でさえ共同創造している。

 これは”私”の人生にとって意味のあることである。」

 

 

 

誰かの”死”は

”私”が新しい視点を得るためのもの。

 

 

確かにそうなんですよね。

 

 

直後は全くそんな風に思えないし

ただただ

 

 

”辛い””苦しい””悲しい”

 

 

で毎日埋め尽くされていましたが

今ならやっとわかります。

 

 

父の死がなければ

”自分の人生に”

 

 

”私が生きる”ということに

 

 

こんなに真剣に考えて向き合う事は

絶対になかった。

 

 

こんなに”私”の存在が何なのかを

探求することは絶対になかった。

 

 

辛かったけど

ようやくそれは

”私”にとってのギフトだったと

思えるようになりました。

 

 

父の死は

この”宇宙の法則”に

ここまで向き合えて

理解して、

実践をはじめる

きっかけになったんですよね。

 

 

 

物質世界の視点では目に見えてわからないけど

死は喜びと幸せに帰るものであるということ。

 

 

違う時空間で今なお、父は存在しているということ。

 

 

ボルテックスであれれば、死者と会話も可能であるということ。

(私は会話はできないけど、父の秘密を親友に話そうとしたら、有り得ない飛行機のような爆音で2度遮られたことがありました。ちょっと笑いました^^)

 

 

こんな概念、

父の死がなければ

絶対にスッと入ってこないし

実感として湧かなかったですよ。

 

 

死んでから

不思議現象が何度かあって

ああ、本当にまだそこに”いるんだ”

 

 

それが

”体感”としてあるんですよね。

 

 

だからね

昔からの恐怖だった

”私が死ぬということ”

 

 

 

 

 

かなり恐怖じゃなくなってきたんですよね。

(完全には取り切れているかはわからないけど)

 

 

 

意識の上では思うんです。

だって死なないじゃん♬

みたいな 笑

 

 

 

エイブラハムの解説で

happyさんやlicaさんが言っていたんだけど

 

 

苦しい時は

ボルテックスから外れているのは仕方がない!

 

 

その”苦しい”状態のときになんとかしない。

そういう時は日々を粛々と動く。

 

 

苦しいときは何かを動かそうとしない。

いい気分にならなきゃと頑張らない。

感情を出して出して出して出した先に向き合える。

 

 

 

感情に悪いものはない。

すべてはただのエネルギーであり。

 

 

瞬間の感情は「衝動」だから起きてて当然、

それがありのまま。

 

 

それはイコール、瞬間にソースと同調しているのだ!!!

(悲しいときに悲しむことや苦しみが湧いたときに苦しむこと)

 

 

そこで

無理やりいい気分にするのは

「抵抗」が起きるから

ソースから外れて

望まない現実を創造するのだ!

 

 

と言っていました。

 

 

すごく納得。

 

 

湧き出てくる感情は

いいも悪いもない。

 

 

出しっぱなしにするべし!!!

 

 

 

近い人や大切な人が亡くなると

本当に辛いし、苦しいけど

 

 

物質的な視点では理解できないけど

すべての人の死は自殺であるいうこと。

どんな形の死であろうと

自分で”決めてきた”ことである。

 

 

「死でさえ共同創造している。

 これは”私”の人生にとって意味のあることである。」

 

 

 

この言葉が

必要な人に届いて

ほっとできますように・・・。

 

 

have a great day!!

chaka