もう何年ぶりかなど
考えたくもない。
2年3カ月ぶりだそうだ。
今日は遅いので近況は
また改めて。
iPhoneからの投稿
ものすごく久しぶりの更新。
書きたくなった。
この物悲しさ。
何だろう
言い知れぬ不安。
どうしてもっと強くなれないんだろう。
そんなことを言っている立場ではないのに。
わきまえろ、自分。
iPhoneからの投稿
書きたくなった。
この物悲しさ。
何だろう
言い知れぬ不安。
どうしてもっと強くなれないんだろう。
そんなことを言っている立場ではないのに。
わきまえろ、自分。
iPhoneからの投稿
ものすごく久しぶりの更新。
書きたくなった。
この物悲しさ。
何だろう
言い知れぬ不安。
どうしてもっと強くなれないんだろう。
そんなことを言っている立場ではないのに。
わきまえろ、自分。
iPhoneからの投稿
書きたくなった。
この物悲しさ。
何だろう
言い知れぬ不安。
どうしてもっと強くなれないんだろう。
そんなことを言っている立場ではないのに。
わきまえろ、自分。
iPhoneからの投稿
出版社の端くれなので、
今日発表の直木賞と芥川賞の
発表は気にかけていました。
前回とは違い該当者なしということもなく、
決まったようですね。
それにしても、物書きという
仕事は想像を絶するものなのだろう。
立場は違えど、
私が師事していた教授は
ご飯は喉を通らず、
かなり体重が落ちると言っていた。
自分を振り絞るというか、
切り売りしているというか。
この時期は私も原稿を書くわけだが、
お店の代理で書くということも
これはこれで難儀だ。
相手が求めているものを
引き出す取材。
それに応える原稿作り。
何やら芝居に似ているような
気がする。
違う点と言えば、
スポットライトに当たらない点か。
広告屋とは黒子の仕事だ。
iPhoneからの投稿
今日発表の直木賞と芥川賞の
発表は気にかけていました。
前回とは違い該当者なしということもなく、
決まったようですね。
それにしても、物書きという
仕事は想像を絶するものなのだろう。
立場は違えど、
私が師事していた教授は
ご飯は喉を通らず、
かなり体重が落ちると言っていた。
自分を振り絞るというか、
切り売りしているというか。
この時期は私も原稿を書くわけだが、
お店の代理で書くということも
これはこれで難儀だ。
相手が求めているものを
引き出す取材。
それに応える原稿作り。
何やら芝居に似ているような
気がする。
違う点と言えば、
スポットライトに当たらない点か。
広告屋とは黒子の仕事だ。
iPhoneからの投稿
正直な話、初対面の人が
あまり得意ではない。
ギャーギャー話すので
人見知りなんて無縁なんじゃないか
と、よく言われる。
どっこい、あの沈黙が耐え難く
喋っていないといられないのだ。
別にとって食われる訳じゃないのだから
おおらかにしていればよいのに
できない。
今は沢山の知らない人と
話す機会が多く、
精神的にタフな時期だ。
これはチャンスなのだと思う。
いつか、必ず来る。
今の自分が培ったものを
発揮する時が。
その時まで
深く根を張るのだ。
iPhoneからの投稿
あまり得意ではない。
ギャーギャー話すので
人見知りなんて無縁なんじゃないか
と、よく言われる。
どっこい、あの沈黙が耐え難く
喋っていないといられないのだ。
別にとって食われる訳じゃないのだから
おおらかにしていればよいのに
できない。
今は沢山の知らない人と
話す機会が多く、
精神的にタフな時期だ。
これはチャンスなのだと思う。
いつか、必ず来る。
今の自分が培ったものを
発揮する時が。
その時まで
深く根を張るのだ。
iPhoneからの投稿
今日はお芝居における関係性について
考えてみたいと思う。
お芝居というものは
ある一場面を切り取っていて
連続性のあるものではない。
その中で登場人物の関係性を
提示する必要がある。
例えば、今までにあったことや
各々が各々をどう思っている
またはどう思われているかを
どう理解しているかを
表現しなければ観客はわけがわからず
物語の本質に近づくまでに
時間がかかってしまう。
かといって、説明的な台詞ばかりでは
おもしろみもないものになってしまう。
関係性を考えるうえで
昨日は台詞について書いたが、
今日はさらにそれに付随する
表情や動きについても
考える必要がある。
自分は物理的な距離に
気を使っている。
これはおそらく実生活において
無意識にとる行為を
常に意識し、自分のみならず
他人の動きも観察していると
自然とわかるような気がする。
ここまで書いてなんだが、
決して学術的なことを
書きたいわけではない。
感覚的だということを
わかって読んで頂きたい。
もちろん、距離だけではなく、
表情の動き、目線の送り方、話かけるタイミング。
これだけではない、自分という
全ての要素に気を配り、動くことが
必要だと感じている。
しかし、ここまでのことに
気を使っていても関係性が
伝わらない。
なぜ。
それが、今回の課題だ。
何やら小難しく言ってみたが、
当の本人は苦悩しているのだ。
話の筋や伝えたいことを
伝える前提の部分が
未だに構築できていない。
それは対応する役者との
共通認識の低さや
コミュニケーション不足も
問題だと思う。
が、しかし、何よりも
本を読む力がない。
台詞を正しく理解する力が
圧倒的に足りていない。
恐らく読み込みが足りないのだ。
大学時代にあれ程いわれたじゃないか。
わからなくなったら本文に
戻るのだ、と。
読み直そう、何度も。
見えてくるはずだ。
iPhoneからの投稿
考えてみたいと思う。
お芝居というものは
ある一場面を切り取っていて
連続性のあるものではない。
その中で登場人物の関係性を
提示する必要がある。
例えば、今までにあったことや
各々が各々をどう思っている
またはどう思われているかを
どう理解しているかを
表現しなければ観客はわけがわからず
物語の本質に近づくまでに
時間がかかってしまう。
かといって、説明的な台詞ばかりでは
おもしろみもないものになってしまう。
関係性を考えるうえで
昨日は台詞について書いたが、
今日はさらにそれに付随する
表情や動きについても
考える必要がある。
自分は物理的な距離に
気を使っている。
これはおそらく実生活において
無意識にとる行為を
常に意識し、自分のみならず
他人の動きも観察していると
自然とわかるような気がする。
ここまで書いてなんだが、
決して学術的なことを
書きたいわけではない。
感覚的だということを
わかって読んで頂きたい。
もちろん、距離だけではなく、
表情の動き、目線の送り方、話かけるタイミング。
これだけではない、自分という
全ての要素に気を配り、動くことが
必要だと感じている。
しかし、ここまでのことに
気を使っていても関係性が
伝わらない。
なぜ。
それが、今回の課題だ。
何やら小難しく言ってみたが、
当の本人は苦悩しているのだ。
話の筋や伝えたいことを
伝える前提の部分が
未だに構築できていない。
それは対応する役者との
共通認識の低さや
コミュニケーション不足も
問題だと思う。
が、しかし、何よりも
本を読む力がない。
台詞を正しく理解する力が
圧倒的に足りていない。
恐らく読み込みが足りないのだ。
大学時代にあれ程いわれたじゃないか。
わからなくなったら本文に
戻るのだ、と。
読み直そう、何度も。
見えてくるはずだ。
iPhoneからの投稿
芝居の稽古が進んでいる。
役者には色んなタイプがいる。
例えば、きっちり台詞を入れて
言葉尻の間違えも許せないタイプ。
ちなみに、自分はその逆。
語尾は毎回変わるし、台詞は飛ばす。
痛い目にあったのは一度や二度ではない。
今回、きっとお芝居は最後になる。
(前回も言ってた気がするが)
きっちり、台詞を入れたいと思っている。
裏方さんに迷惑がかかる
(音楽や照明が切り替わるタイミングが変わってしまう)し、
何よりも作者に失礼だ。
想定したニュアンスや
登場人物のイメージ、
他の役者の台詞の出し方と
全てが変わってしまうのだ。
ここまでが大前提。
台詞の力ということを考えてみる。
コミュニケーションの手段として
絶大な信頼感と危うさを兼ね備える
言葉というもの。
台詞は声に出した瞬間、無形の
か弱い存在になる。
しかし、そのか弱さという
曖昧さが心に落としていく
影響力は何とも力強いものだと思う。
正確性を兼ね備えていないが故に
受け取り方次第で
受け手(観客、共演者を含む)は
無数に解釈できる。
まぁ、全員が全員同じに解釈できない
という議論は棚にあげよう。
概ね、こう理解してもらいたい
というパワーを宿らせることの
難しさが間違いなくある。
そこに置ける台詞の出し手、
つまり役者の責任は大きい。
素晴らしい台本には必ず
こう伝わらなければならない
という芯がある。
それを汲み取り、自分に落とし込み、
他者に伝える。
インプットからのアウトプット。
まず、インプット。
ここは理解力に尽きる。
台本における自分の立ち位置は
当然ながら
全体を把握する力が必要だ。
そしてアウトプット。
自分が理解したものを他者に伝える。
それも決められた台詞で。
他の言葉は用意されていないし、
あってはならない。
確かに身振り手振り、表情と
あるが、ここでは台詞へ焦点をあてたい。
正しく理解することの大変さも
さることながら
これをその理解通りに伝える。
非常に困難な作業だ。
理解できているから
できることではない。
そんなことはとおの昔にわかっている。
理解していることを正しく表現する、
果たして可能な行為なのか。
自分の見解は限りなく近付けることは
できるのではないかと思う。
おそらく、日常生活で他者に
伝えるよりは。
その意味は前述したように
明確に答えがあるからだ。
だからこそインプットは
正確さを求められる。
こう解釈してほしいという
作り手の意思の強さが
それを可能にするという前提と
それを伝える演者の
インプット、アウトプット能力が
必要だ。
まとまりに欠ける文章で
申し訳ない。
台詞には明確な意思があり、
曖昧ではない。
ただ、それが声となって発せられること、
つまり媒体を通すことで
不安定さを持つ。
それをきっちり伝えることに
役者の醍醐味がある。
だから芝居の虜になり、
人は離れられないのではないか
と思う。
現実世界では決してありえない、
意図を正確に伝えられる可能性
いや、幻想に囚われている
そう思う。
台詞にはそれだけの力がある。
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役者には色んなタイプがいる。
例えば、きっちり台詞を入れて
言葉尻の間違えも許せないタイプ。
ちなみに、自分はその逆。
語尾は毎回変わるし、台詞は飛ばす。
痛い目にあったのは一度や二度ではない。
今回、きっとお芝居は最後になる。
(前回も言ってた気がするが)
きっちり、台詞を入れたいと思っている。
裏方さんに迷惑がかかる
(音楽や照明が切り替わるタイミングが変わってしまう)し、
何よりも作者に失礼だ。
想定したニュアンスや
登場人物のイメージ、
他の役者の台詞の出し方と
全てが変わってしまうのだ。
ここまでが大前提。
台詞の力ということを考えてみる。
コミュニケーションの手段として
絶大な信頼感と危うさを兼ね備える
言葉というもの。
台詞は声に出した瞬間、無形の
か弱い存在になる。
しかし、そのか弱さという
曖昧さが心に落としていく
影響力は何とも力強いものだと思う。
正確性を兼ね備えていないが故に
受け取り方次第で
受け手(観客、共演者を含む)は
無数に解釈できる。
まぁ、全員が全員同じに解釈できない
という議論は棚にあげよう。
概ね、こう理解してもらいたい
というパワーを宿らせることの
難しさが間違いなくある。
そこに置ける台詞の出し手、
つまり役者の責任は大きい。
素晴らしい台本には必ず
こう伝わらなければならない
という芯がある。
それを汲み取り、自分に落とし込み、
他者に伝える。
インプットからのアウトプット。
まず、インプット。
ここは理解力に尽きる。
台本における自分の立ち位置は
当然ながら
全体を把握する力が必要だ。
そしてアウトプット。
自分が理解したものを他者に伝える。
それも決められた台詞で。
他の言葉は用意されていないし、
あってはならない。
確かに身振り手振り、表情と
あるが、ここでは台詞へ焦点をあてたい。
正しく理解することの大変さも
さることながら
これをその理解通りに伝える。
非常に困難な作業だ。
理解できているから
できることではない。
そんなことはとおの昔にわかっている。
理解していることを正しく表現する、
果たして可能な行為なのか。
自分の見解は限りなく近付けることは
できるのではないかと思う。
おそらく、日常生活で他者に
伝えるよりは。
その意味は前述したように
明確に答えがあるからだ。
だからこそインプットは
正確さを求められる。
こう解釈してほしいという
作り手の意思の強さが
それを可能にするという前提と
それを伝える演者の
インプット、アウトプット能力が
必要だ。
まとまりに欠ける文章で
申し訳ない。
台詞には明確な意思があり、
曖昧ではない。
ただ、それが声となって発せられること、
つまり媒体を通すことで
不安定さを持つ。
それをきっちり伝えることに
役者の醍醐味がある。
だから芝居の虜になり、
人は離れられないのではないか
と思う。
現実世界では決してありえない、
意図を正確に伝えられる可能性
いや、幻想に囚われている
そう思う。
台詞にはそれだけの力がある。
iPhoneからの投稿
以前の記事で今月は無風だと
書いた。
下期に入った瞬間
吹き荒れました、嵐が。
昨日はとにかくいろいろあった。
半分は自分の責任なのだが
それ以上の出来事が。
異動が出た。
部内異動なのでやることは変わらないのだが
行き先が部内で最も忙しい版。
何もこの時期に。。。
予想だにしないことが
下期は続発しそうな予感。
ただ、これは試練だ。
全て乗り越えてみせる。
短い引き継ぎも
芝居も
結婚式も
俺は負けんぞ。
iPhoneからの投稿
書いた。
下期に入った瞬間
吹き荒れました、嵐が。
昨日はとにかくいろいろあった。
半分は自分の責任なのだが
それ以上の出来事が。
異動が出た。
部内異動なのでやることは変わらないのだが
行き先が部内で最も忙しい版。
何もこの時期に。。。
予想だにしないことが
下期は続発しそうな予感。
ただ、これは試練だ。
全て乗り越えてみせる。
短い引き継ぎも
芝居も
結婚式も
俺は負けんぞ。
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本当に惜しかった。
泣きそうになった。
ワールドカップには沢山の思い出がある。
8年前、ヒッチハイクで国立競技場へ
Cさんとパブリックビューを観に行った。
行きの捕まえた車は明らかに危険な臭い。
たぶんカタギではないだろうと思われるベンツ、だったけ?
高速をとにかく暴走してくれました。
その後調布ICを降りて中途半端な所で降ろされて
途方にくれました。
夜中に見知らぬ土地で。
でも、テンションで乗り切れるもので
そこから、芦花公園まで延々と歩きました。
いざ、国立につくと雨。
そらそうだ、梅雨だもんな、雨くらい降るわ。
寒かったなぁ。
負けちゃったしね。辛かった。
あの後どうやって帰ったんだが思い出せない。
4年前の開幕戦の日。
今の奥さんと正式にお付き合いをすることに。
もうあれから4年経つのか。
早い。
いや、どうなのだろう。
次回のブラジル大会はどんな思い出を作ることが
できるだろうか。
どにかく、代表のみなさん
お疲れ様でした。
胸を張って帰ってきてください。

