皆さん、こんにちは
㈱ くるみの森 広報担当
言語聴覚士のあっちーこと中山敦子です
今日はブログ訪問して頂き、有難うございます
こちらのブログでは言語聴覚士のことを紹介したり、高次脳機能障害・失語症・構音障害でお悩みの当事者の方、ご家族様、支援されている専門職の皆様に向けて為になる情報を配信しているのでよろしければフォローの方お願い致します
Twitterもやっているのでフォローしていただけると嬉しいです
@achiflyinthesky
台風が過ぎ、暑い日々がまたやってましたね
クラクラしそうな強い日差し
夏の疲れも溜まってきたし
仕事も休みたい
そしてお盆帰省したり旅行したり
のんびり過ごしたい
ですが今年も
昨年に引き続き実家に帰らず
今週は毎日お仕事です
子供達もおばあちゃん家に行きたいなと
言いますが
コロナが落ち着くまでは
我慢我慢の日々ですね
そうそう、今日の朝食ねこねこ食パン
可愛い、美味しかったです
さて、オープニングトークで
実家の話題になったということで
今日は私が子供の時の話
父が脳梗塞で倒れた時、どんな様子だったかをブログに綴っててみようと思います
家族が病気を発症した日のことって
何年経っても忘れられませんよね
1人1人経験したことは違いますが
どの人生にも大きなドラマが
詰まっているんだよなぁ…と
いつもしみじみ思っています
私の経験も随分昔のことですし
父が生きていたら
「余計なこと喋るな」と怒られそうですが
これも貴重な体験談
どうかお話しさせてください
父が倒れたのは平成9年の9月
姉が中学2年生、私は小学4年生、妹は小学2年生でした
その日は土曜日
仕事のはずの父がベッドから起きてこない
でもその前日は確か飲み過ぎていたから
「飲み過ぎで起きられないのかな」
そう思って、私たちは父を放っておいたのです
お母さんもだらしない父のことを
「面倒くさいしょうがない人だね」
くらいにしか思っていなくて
敢えて起こさなかったんです
私達は午前中だけ学校だったので帰ってみると
まだ父はベッドの上
というか、よく見たら失禁しているし
ベッドに横になってるけど、目はうつろ
昼過ぎになってようやくただごとではないと気づいた母が慌てて救急車を呼びました
(おっそーーー)
なかなか薄情な塩対応かもしれませんが
きっと父もそんな仕打ちを母にされるような
だらしない生活が続いていて、母もずっと我慢していたのかもなーと今は想像します
救急車が到着する前に
母と姉と私で失禁して汚れてしまったパジャマを取り替えようと父の体を起こしました
その時の父の体の重かったこと
右半身に力が入らなかったというか、全身だらんとしているような感じでパジャマの交換がすごく大変だったのを覚えています
救急隊員が到着し、父は担架で運ばれ
母と一緒に救急車に乗り、病院に向かったのでした。。。
はい、今日はここまでです
なかなかの修羅場でしたね
続きはまたブログにあげますので
もしよかったらご覧くださいね
次の記事では、発症した瞬間は、一体どんな様子だったのかという内容になります
ではではー
続きはこちらです
https://ameblo.jp/online-reha/entry-12691448708.html
zoomやLINEで!言語聴覚士による失語症や高次脳機能障害者のためのオンライン言語リハ
公式LINEはこちら。登録したら必ずメッセージをください。個別にお返事差し上げます
くるみの森代表 西村紀子著書 はこちら
ぜひお読みください。
西村紀子さんのブログはこちら