最小の日々に、最上の意味を。 -4ページ目

最小の日々に、最上の意味を。

Tell me about yourself. Because the truth can't be found.

高野山 開創1200年ということで、この連休を利用して何年振りかに高野山を訪れました。
こんな機会は滅多にないからね。1300年のときには生きてないし笑。




当日は生身供にも間に合ったし、早起きした甲斐がありました。

いつ行ってもあの場所は本当に空気が違う。
奥之院なんて特に違うし、弘法大師廟の前まで行くと更に空気が違って、言葉で表すのが難しいけど...思考停止するというか無になるというか別世界みたいな感じ。
御廟に目を奪われて、気持ち的に全てが浮いてるかのように軽くなって無いみたいに感じる。いや、自分の存在の小ささを実感すんのかな?ちっぽけやな…って。
どちらにしても、さすが聖地であり聖域。

まぁ、感じ方は当たり前に人それぞれ違うやろうけどさ。
それでもやっぱ、今なお多くの人々に慕われ続けてるのが分かる。





今回、初めて生身供を拝見することが出来たし、80年振りに御開帳された金堂の御本尊•薬師如来(秘仏となっていた)も、16年振りに御開帳された金剛峯寺の御本尊•弘法大師座像も拝見できたし、お写経も体験させていただいたし、楽しかった…って言ったら表現が間違ってるかもしれんけど、貴重な1日になりました。


別に何の宗教にも入ってないしそこに何の興味もないけど、小さな頃から高野山やその縁の地や神社仏閣に連れて行ってくれたりして真っ当な教育をしてくれた親や祖母に感謝。
普通はあまり小さい子を連れて行かないイメージやけどな…

褒められるような人間じゃないし、褒められるようなことばかりしてきたり、そんなことが多く出来る人間でもないけど、それでも心まで腐ってしまうことがなかったのはそれが関係してたりもするのかな、と。

宗教がどうとかそういうのとは別で、神仏に慣れ親しんどくってのは案外、大事なことなんかなってこの歳になって分かるようになった。


今回、やり残したこともあるから、また時間を見つけて行けたらなと思う。
旅行もそうやけど、こういう場所は特に「行きたい!」って思ったときはその場所に呼ばれてるときやと思うから、なるべくそのタイミングは逃したくないよね。



菩薩十善戒。





今の世の中、自分含め忘れてしまってる人が殆どやと思う。そういうのが頭にすらない人もいてるやろうな。
「やってしまってるなぁ…」ってのと、これらを少しでも頭の片隅に置いて日々を過ごしていけたらな、と反省。

ACIDMANの大木さんもいつか言ってたけど、「食物連鎖のトップに人間がいるからって人間が偉いわけでも何でもない。命は命の犠牲の上に成り立ってるから感謝することを忘れてはいけない」って。


それでもやっぱりね、人間は人間ですからね。神でも仏でもないからさ。
汚い部分もあってこそ人間らしさがあるんやけど、心までは腐らぬように。