昨日、来てくださったクライアントさんと、

「やっぱり、デジタル(AI)とフィルムでは違うよね」

写真について話しをしていて、ふと浮かんだ。

芸術、ものづくり
今の技術、機械で大量生産されたものも確かに美しい。
でも人の手で作られたものは、その背景を想像させより美しく感じる。

人間はどうだろうか?
人間も不完全さを受け入れて、複雑さや人間味が加わると魅力が増してくると思う。

以前、まだなお、システムに適応が難しいとその方が生活しやすいから子どもたちを分ける現場。

色々な面を考慮してのことではあるから
それを否定するわけではないけど
なぜ?どうしてだろう?
と疑問に思っていたんだよな。

今の子どもたちは、意思もしっかりしていて、味わい深く魅力的、素直でアップデートも早いエリートだもん。
むしろ彼らからみたら、忖度したり、自身を抑えもがいている大人の方が不自由にみえるのかもしれない。

けしてそれが悪いわけではないし
システムの捉え方の違いだと思う。

私たちは旧社会で生き抜くため、
適応すべく、それが自分だと思い作り上げた理想像。
必要な手段であったのだから仕方がないから無駄なことなんてひとつもない。
よく頑張ってきた、頑張ってる。

先日、
頑固であり拘りの強かった私の器が、
パァ〜と拡がり、その器が満杯になって溢れでるようなグッとくる話しを伝えてもらった。

やりたいことならもちろん、
たとえそれがやりたいことができなくても
「自身の理(自明の理)」
を追求できれば、信念、覚悟をもって
置かれた場所で花を咲かせることができるんだ。

自身をすり減らすことなくそのままで
できること。

それがなんであれどうであれ
存在していることが
新しい社会、時代への貢献になるんだ

と改めてそう感じることができました。

(再スタートラインに立ち、まだ整理することも多々ありますがw)

ニュアンスを上手く伝える言語的IQが
いまいち低い私。ただいま練習中。
思いつきでまとまりがないというオチチュー

とにかくできることをやってみる。
小さいことからコツコツと。

「美しい中にある少しの雑さこそ
奥行きがある。それこそ本物」

その言葉がしっくりきた。


いただいた瀬戸内コーヒー、
シットリした生地のもみじ饅頭美味しかった。

そして、今まで来てくださった方々、携わってくださった方々

ありがとうございます。









(美味しいお土産ばかり照れ)