やっぱり人間て

ネガティブになるのは上手だよね。

 

 

自分の人生が硬直したように動かなくなって

いや

動けなくなってかな?

 

 

何とか息を吹き返して欲しいと色々策を練る。

 

 

ちょっとしたキッカケで

人生の流れは変わる

という話は良く聞くので

キッカケとなり得るものには

積極的に手を出す。

 

 

そこに

いちいち大きな期待をするもので

相変わらずで居続ける現状に落胆する。

いや

落胆したのは過去の話かな

最近は

苦笑い。

やっぱり

安定の現状維持。(^^;)

 

 

こんな時気を抜くと

一気にネガティブの領域に突入しちゃうから

「また上がる」

そう思うことにする。

 

 

やっぱり人間だから

上がり続けてる訳にはいかない。

でも

理解して来ると

そんな上下動も自分なりにコントロール出来る気がする。

 

 

取りあえず

面白いこと探そう!

 

 

 

 

 

小さい頃から色んなことを教えられて

なんか

立派な人にならなくちゃいけないような

そんな気にさせられ続けるけど

どうしてそんな負荷をかけることになって行ったんだろう?

 

 

みんな教科書通りの聖人君子である必要があるみたいな

そんな要求をされるけど

そんな型にはまった生活じゃ

自分の持つ特殊能力は埋もれてしまうよね。

 

 

一日中子どもたちにアリの巣を観察させた先生が

大問題になってたけど

そんな授業で何を感じるかの方が大事な体験だよね。

すぐ飽きちゃう子もいるだろうし

それこそ水を得た魚のような子もいるだろう。

アリなんて見ないで泥遊びになっちゃう子もいるだろうし

おしゃべりで終わっちゃう子もいるんだろう。

少なくとも

黙って机に向かって授業を聞いてるより

個々の特性は表面化するんだろう。

 

 

幼稚園児の日々の遊びに

禁止事項がとても多くて

遊具にもきちんとルールがあって

型通りの遊び方しかできないようになっているのに

突然保育時間に段ボール渡されて

自由に遊びなさいと言われたという。

子どもたちは何となく中に入ったり持ち上げたりしたらしいが

その後

発想が貧困と

先生から保護者に報告があったと友人が笑った。

 

 

まあ

教育のあり方は

今後かなり変化はするんだろう。

 

 

どんな条件下でも

自分の生き方を通すって至難の業。

でも

今自分が何がしたいのか?って

純粋な気持ちを探せるようにはなっていたいよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

人生が閉じる時

きっとその全てを理解するんだと思う。

 

 

自分の人生の外観も

もっとやれば良かったことも

出来なくて残念だったことも

心の底から幸せだったことも。

 

 

その時の自分に向けて

笑えるようなこと

一杯残しておいてあげようかな。(o^-')b

 

 

 

 

 

 

おしゃれだよー