京都・奈良・大阪・神戸へ3泊4日で行ってきました

最高に楽しい旅でした

寮の友達同士のロシア・中国・ベトナム・日本人で行ってきた旅でした

今までは彼らとご飯を食べたり遊びに行ったりしていても、日本人としての自分を意識することが多かったですが

今回の旅行を通じて、彼らと本当に心が通じ合っていい仲間になれた気がします


日本人はいつも最初に飯の話ばかりで文化に興味はないのかとつっこまれたり

人気のある店はいつも混んでるじゃないか!ともめたり、でもその後には美味しくて最高にハッピーになったり

一人っ子は責任が重くて大変だねー、兄弟がほしかったねーみたいな家庭の話をしたり

話すと長くなるので適当に受け流していたような思い出話をお互いにしあったり


楽しい時間ばっかりじゃなくて、朝起きてテンションの低い瞬間とか、歩きすぎて疲れていらついたり

今まで、なんとなくこの人はこういうやつやと思っていたものが一転したり


単純に自分が育った街とか好きな食べ物を皆が最高に楽しんでくれたことが幸せです

吾唯足知という状態です


自分の中での”実験”は上手くいったように思います


うちの寮の留学生は1年ごとに入れ替わりで、今年の9月に新しい留学生が入居してきました

前シーズンは自分にとって後悔の残るものでした

というのも、「寮のルール」を守らせる立場や「便利屋」になってはいけないということを意識するあまりに、留学生との間に壁を作っていました

もちろん毎月イベントを企画して飲みに行ったり、東京案内をしたりはしていました

しかし、私は彼らの日常には一切入り込まず、たまに顔を合わせる程度の間柄だったので、彼らと長く続くような関係を築くことは出来ませんでした。

職務は全うするし、管理人としても模範的な行動ですがこれでは自分にとって大変消化不良でした

確かに寮のルールさえまもらせればいいのかもしれないけれど、それでは彼らと一緒の寮に住んでいる意味がないと思いました。もっとつながってもっと色んな手助けや、楽しい思い出を残したいと思いました。

そこで、今シーズンは、仕事は決められた範囲のものもこなす。プラスで、本当はやるなと言われているけど、彼らが困っていることには時間の許す限りなんでも対応してあげました。

毎日飲みに歩いたり、パーティ企画を打ちまくるという手段もありましたが自分の性に合わないので、便利屋になってみようと考えました。


携帯電話を作るのを一緒に行ってあげたり、銀行口座開設に立ち会ったり、海外から遊びにくるという留学生の友人のためにゲストハウスを予約してあげたり、図書館の本の延長の仕方、ネットがつながらない、デートスポットを教えろ、日本語の添削をしろ、などなど

振り返ってみて文字にするとそんなに大変ではないですが、英語でしかも相手のニーズに最高に応えたいと思ってしまうので丁寧な返事をしていると案外エネルギーが必要なのです


こうして便利屋になってみると、その過程で彼らと色々な話をしてお互いのことを知れるようになるし、旅行に行って、外国人としてでなくて仲間として仲良くなるぐらいになれたのでいい結果が得られました。

一文でまとめると「Gaijinと仲良くなってなんか楽しくて幸せ」っていう頭の悪いチープな感じに仕上がりますが、2年前の自分からは今の自分を全く想像出来ません。

楽しいとか幸せだと感じるものをたくさんもっているということはそれだけで視野が広がったように思います


ここでの経験は自分が40、50になったときにありたい姿のイメージに強烈なインパクトを残しています

残りの学生生活でもっと寮で楽しい時間を作ります


今回の旅の行程
◯1日目
午前  京都駅前ベローチェにてプラン会議
      金閣寺
       近くの小料理屋にて御膳的な弁当(このお店は本当に最高です。店構え、内装、音楽、雰囲気、料理のバランス、大将の人柄。2000円のランチですが、しょうもない居酒屋行くより安いでしょう!)

午後  龍安寺
嵐山(渡月橋は何度いっても癒されます。川、山、建物のコントラストがもう)
     京都駅ビルの拉麺小路「ますたに」で晩飯
     ペンションへ

◯2日目 雨のためまったり
午前  清水寺
     四条の海鮮丼(チープなやつ)
午後  錦市場
     京大
     再び四条へ、木屋町の居酒屋(sake syocyu)

◯3日目 奈良観光
午前  法隆寺 (以外といいです。大きいし、建物の洗練された感じと、配置がとても考えられているのでどの角度からでも棟がきれいにみえます)

午後  東大寺/奈良公園/二月堂(鹿がかわいいです。大仏は対して大きくないです。堂はかっこいいです)

     四条へ戻り、「かつくら三条本店」へ。雰囲気最高です。混んでましたが
     Geisyaを見るために祇園の街を徘徊(八坂への大通りしか小生は行ったことがなく、祇園の街がこんなにもレトロな雰囲気、京都感を出しているとは知りませんでした。ここの人力車にだったらいつかドヤ顔で乗りたいです。)


◯4日目 大阪/神戸観光
午前  大阪城へ(初大阪城。大体そうですが、城の中はつまらないけど、近くからの景色は壮大です。これは攻められん。近くの公園で木に登ったり、噴水のまわりできゃっきゃしました。最高でした)

     新世界へ
     串カツだるま、大阪感丸出しの平日の昼間から焼酎をあおるおっさんが集まる寿司屋、たこ焼き屋

午後  神戸ポートランド付近へ モザイク ポートタワーなど
     色々イルミネーションをみてきゃっきゃしました
     旅の締めは京都駅の第一旭で



関西は最高ですね。相変わらず大阪の廃れた雰囲気はたまらないし、今まで知らなかった京都を知りました。もちろん奈良、神戸もいいところです。











卒業論文に8月から力をいれて取り組み、先日ようやく完成し、提出しました。

査読しだいで、修正が必要になるかもしれないのでどうなるかわかりません。

普通は卒論というと1月くらいが締め切りなのですが、学内の雑誌に載せるコンペがあったのでせっかくだし挑戦しました。

昨年も出したんですが、修正要求の後落とされてしまいました。

むちゃくちゃ時間を費やして頑張ったので、具体的に何を頑張ったのか、大変だったのか書きます。



自分の研究したいことに合致するデータが存在しないこと

データ入力において分析時を想定して工夫して入力すること

あったけど最終的には欠損値で半分くらい落ちたこと

何故このデータが必要なのか、理論をはっきりさせること

仮説に引きずられれすぎずに取り敢えずよくわからないデータについても分析してみること

その分析をするためにわざわざデータを加工すること

仮説を測るために存在するデータをどうやって加工分析すればいいかわからないこと

仮説を導き出す論理が飛躍的だったのでその間を埋める理論を探し出すこと

仮説が当たり前すぎてnothing newなこと

検証の結果、仮説が支持されず、支持されないのでそのためにあれやこれやと統計的工夫を施し、データの問題点を探したこと(結果としてどうしても支持さないので先行研究はもはや古いと結論づけた)

持っている情報を一本の線として明確に論文にまとめること

とにかくしばしばこの先の一手がわからずトンネルに入ってしまったこと

先生にアドバイスはもらってたけど、全部一人でやってたこと(卒論はそんなもんですが、とにかく、データを加工することにその効果に比べて莫大な時間がかかります。必要なデータなのですが。)

しばらく、朝から晩まで大学にこもる浪人生みたいな生活だったこと。

まとめると、
自分の研究は、きっと先に誰かがやっているはずなのだけれども、少なくとも自分が調べうる範囲では誰もやっていないし、自分が使ったデータで同じ研究質問・問題意識から同じ仮説を検証したものはない。だから、理論から仮説の導出以降の事柄は完全にけんちんオリジナルであるからこそ、どうとでも料理できるし、どう料理したらいいのかわからない。これが最も大変でした。

イメージで「こんなことを実証できたら面白い」は、理論だけ使って言うことは簡単ですが、実証することはたまらなく大変です。創造的なことは脳内だけのことなら誰でもできるけど、人に納得されられるように証明すること、創造的なことが真実だと証明することは非常に難儀です。

そうすると、意外とクリエイティブなことってめっちゃ泥臭いということがよくわかります。

発想だけでは形になりません。発想を形にするには、時間と労力が必要でそれはパソコンの前でシャコシャコやったり、手がかりになりそうな論文を読んでみたり。

発想ばかりの人は、机上の空論で空虚な人になっちゃいかねない

とにかく時間をかけて頑張るだけでも十分大変だけど、やっぱり独自性がある方が楽しいと思います

創造的なものはきっと無数にあるはずなのだけど、それが目に見える形で表出されるには、泥臭い作業なしにはなし得ないのでしょう。

私も自分の考えや心情をイメージだけでなく人にわかるように説明しないといけないので、今回は卒論で大変だったことを言葉でつらつら書きました。



人生で最大化したいものは何か、それが分かればそのための独立変数を投入して向上させればいい

とある飲み会で、笑い話としてゼミの先生が言ってました

Y = αX1+βX2+・・・・・・・+γ

で最大化したいYが分かれば、人生どう生きたらいいかわかるんちゃうか、みたいなこと

Yの条件は「計数化」できること

ある人は「自分が関わったことで幸せになった人の数」、ある人は「お金」などなど


その時私は「話せる言語の数」にしました。計数化出来るし、Xも分かりやすそう


この話が最大化したいものじゃなくて、夢みたいな計数化できないものだとどうなるでしょう

ビックになる、有名になる、本を書く、多くの人の前で講演するとか、ライブハウスを経営するとか、映画とるとかもあるかもしれないですね、あとはラーメン屋やるとか

Yのために自分は正しくXを認識しているのでしょうか、というか正しく認識できるのでしょうか


「一見無駄なことのように見えることが夢に近づいているんだ」
という言葉は正しいのでしょうか

実験みたいに、きちんとした”仮説”を立ててそれにのっとった努力をするべきではないでしょうか

Yのことばかり考えるのではなくてXについて考えて真剣に取り組まないと何も進歩しません

これはYではないですが、自分はもっともっと世界中の人と深い意味で知り合って仲良くなりたいです
今は大学生なので、しょうもないことしか話すことが出来なくても、多少は楽しかったり、相手も自分のことを相手にしてくれます

でもそれは今の年齢・身分があるからです

おっさんになったらおっさんなりの教養・知識・問題意識をきちんとした言葉でかわせないとだれも仲良くしてくれないし誰も自分のことを必要としてくれません。

本を書きたい、有名になりたいというのは、その材料が何にもまして重要です

会社に入り、年をとると、どんどんポジションや機能の中で生きていくようになると思います
だからこそ、自分が自分として必要とされるようにバリューを高めないといけないです

「人生、楽しかったらそれでいい」

これは正しいと思いますが、フェーズごとに本当に楽しみたいのであれば、きちんとYのために努力しないと楽しむことすらできなくなって、ただの痛い人になりかねません

そのために私は学問を修め、道具としての言語を勉強したいと思います

某大前さんの「好きなことは全部やれ」を曲解してはいけません

ただでさえ私はラクな方に流される人間です


常に自分を問い直し続けないとホントにただのおじさんになっちゃいます

自分のことって本当に自分で理解しているんでしょうか

コアなところはやっぱり”見て見ぬふり”をしてしまって、"見たい自分"しかみてなかったり

だけど”見たい自分”がいないと成長しないのも事実だと思うんです


就活やったって未だにこんなこともわからずにいますよ