グローバルに働くってなんでしょう。社会貢献てなんでしょうって就活やると考えますよね。

そもそも何で働くのかとかも考えますよね。

今まで私は、社会貢献度が高い企業でグローバルに働きたいと考え、しかも、実際にモノが作られるラインの営業職として、よりモノに近いところにいたいと考えていました。

ここでいう社会貢献度が高いっていうのは、二つあるかと思う。1つは、社会的に”意義”があるというということ。

前にも書きましたが、どんな仕事も、社会的な”意味”はある。だけど”意義”がないものもある。といっても曖昧ですね。ある財やサービスによって生活の質が上がればそれは意義があるとします。いつも例に出すけどパチンコは意味はあっても意義はない。他にはといわれると思いつかん。牛丼屋もそうかな。で、その意義の度合いの高さが、社会貢献度の高さ。

2つ目は、波及効果の高さ。素材メーカーとかやと、そこの技術革新で、製造品メーカーが変わり、消費者の享受するものが変わる。川上であればあるほど波及効果は高いとする。だけど、川下でもピージー的なところは波及効果はなくても市場が大きいから、同様の効果があるとする。だから、どうなるか分からんけど、ユ◯クロさんも、社会貢献度が高いくくりの対象かもしれん。


で、私は、川上よりのメーカーで、かつ、海外の売り上げが多く駐在とかさしてもらえそうなところにいきたいと考えた。

私のいうグローバルは、上で言ったような社会貢献度の高い会社で働ければ、もうそれはグローバルに働くのと同じでした。現地の方と交渉したり恊働できればいい。



でも、でもやで、ここからがだいじやで。



「ものづくり」のグローバルの現状は、国内のパイ縮小

⇒いままでも海外とそれなりにしてたけど、本格的に軸足おいて海外で戦わな、儲からない

(⇒儲からないと、会社つぶれる。)

ここでいう”海外進出”っていうのは途上国です。なので、グローバルに働くとは途上国で、日本の製品を買ってもらうことです。



これに大変引っかかるものを感じる。昔に列強が土地分割をしていたのと変わらんのちゃうかと。違うことと言ったら、そこまで縄張りルールがない自由競争やということ。



私は、志望動機で、「貴社の製品について深く知り、お客様のニーズを正しく捉えて、信頼関係を構築できる営業マンになりたい」と書くことの幼稚さに泣きそうになってくるのです。

途上国が、自社製品を買ってくれる。それによって生活が豊かになる。だから嬉しい。

これってあまりにも近視眼的過ぎやしないでしょうか。

本当の社会貢献て、技術的発達の遅れている国や地域が自立できるように促すことじゃないのでしょうか。


いや、わかりませんで。そうやって先進国が乗り込むことで、市場競争の原理で自国の技術も上がるから結果的には社会貢献してて、国が障壁つくって保護してそだてるよりいいんや、みたいなことを開発経済ではやってるんかどうか知らんけども。




しかしそれでも私は、「ものづくり」のグローバル戦略がやっていることは、自社の”延命措置”でしかないと言うと言い過ぎかもしれないけれど、社会貢献活動というにはあまりにも空々しいと思ってしまうのです。



「日本にパイなくなったから、次は途上国や」

で、途上国の需要も飽和したらどうすんのやろ。って



そしたら今度は、そもそも日本には大企業が多過ぎやねんとか、30年後には今よりもっとムダな大企業やのに大き過ぎてつぶせない企業が増えて行くんでしょうか。


こんなこと今更って思われるかもしれませんが、「ものづくり万歳」って信じてやまなかった自分が、きちんとイヤな部分と向き合ったという意味では進歩があったと思います。



資本主義社会で、社会貢献ありきでもの考えたらあかんとか気持ち悪いことも思ったりしました。


じゃあ寝ます。