私がボランティア活動

を考える時、しばしば活動主体の活動内容や理念に注目して、”偽物”やなんて言ったりする。

ここでのボランティア活動はあくまで対路上生活者・生活保護受給者等貧困層(以下、便宜上貧困層と呼ばせてください)へのそれに限定する。


今日、ものすごーく変だと思ったのは、ボランティアを受ける側が、「ボランティアされ慣れ」すぎている点だった。



昨年、課外授業で横浜寿町と某川河川敷の路上生活者パトロールを行ったよしみで、そういった方たちと、彼らを支援している方々の主催するBBQに参加させていただいた。



もちろん私には「支援したい」という殊勝な志など心ばかりもない。ただ単に、貧困層の方々とお食事して談笑する機会なんてめったにないわけだから、せっかく誘ってくれたんなら行くかってなもんです。上から見るとかそんなんないです。


ただ相手方の認識としては、我々がどうやら貧困者支援に興味があり、「手伝い」に来てくれるんだ、というものだったようで、ちょいちょい違和感を感じました。



いいんですよ。我々は若いし。活力あるし。かいがいしく働くこと自体に何等違和感はありません。そちら側から言われなくても、”手伝えオーラ”を全開に出されなくとも、いざ現場にいれば私は働きます。ただ、なんか異様に偉そうにしてたり、「当然だよな」みたいな感じをめちゃくちゃ押し付けられていて、その場にいて憤りすら感じました。


もちろん、そんな誠愛の家の住人みたいな人たちばかりではなく、好感のもてる大人の方もいらっしゃいますが、少数です。


正直なところ多くの方は聞いていて不快になるような話ばかりしていますね。


ただ、私自身が色眼鏡でそういう方を見ているからあらゆる言動に過敏に反応し糾弾したくなるというのは事実です。


しばしば言われるのが、「以前は彼らを”汚い”、”怖い”と思ってました。しかし炊き出しとか、ドヤ街パトロールを通じ、実際に路上生活者の方々とお話しすることで、そうした認識が改められました。彼らは・・・(ry」ですよね。違うんですよ。それは認めるけど違うんだよ。


行かないのが一番。


安易に首を突っ込んじゃだめや。


タイトルだけはリア充記事なのになぁ。


ではでは