今日はコットロン小学校に行ってきました。
マリンのピアニカ指導を見てきました。
そこで見たことや感じたことや、音楽に関して最近思ってたことを書いておこうと思います。
今日は少し微妙な内容になるかもしれません。上手くまとめられるか分からないけど書きます。
まずマリンの指導から。
2週間ぶりだったんだけど、子どもたちの成長ぶりにびっくり。
いやーーー子どもってすごい。
「アラピア」という曲をやってたんですが、ほとんどできてました。
もちろんちょっとした間違いはあるけど、これは合格でしょう。
前回きたとき、楽器の貸し出しを始めたので、おうちでも練習したんだろうな~。
でも、新しい問題も発生していました。
これは日本でもよくあること、
子どもたちの個人差。
上手な子はまったくよどみなく弾けていましたが、2~3人ほど、最初のところすらまともに弾けない状況。
どうするのかな~と思って見てたら、ちょっと衝撃的な展開。
かなり厳しく教えていました。
手をたたいたり、耳をひっぱったり。
もちろん強くじゃないけど、日本でやったら確実に体罰。
そのくらい。
さらに、できる子が、苦手な子を教えてあげる場面でも、子どもが子どもをたたく。
ちょっと見ていられなかったので、
これはカンボジアでは普通なの?叩かれるほうは怖いし楽しくないよね?
って言ったら、
「カンボジアではこれが普通。あのぐらいしないと覚えない」
って言う。
叩かれても怖いだけで覚えないよ。
それに、そこまでして覚える必要ないのに・・・
もちろんソパネットは、たたいたり怒ったりせずに養成校で教えていました。
学生たちも、みんながみんな上手ではなかったけど、純粋に音楽を楽しんでいました。
学校で教えるってことはそりゃ、「できるようにさせる」必要があるとは思う。
楽しめばいい、それだけが学校教育なのは確かに生ぬるい気もする。
でも、怒って叩いてまでできるようにさせるってどうなのか・・?
これは日本とカンボジアの決定的な違いなのかもしれない。
ほかの国に派遣されてる隊員も体罰に関してはいろいろ言ってたし、ほかの国にもいろいろ問題があるんだろうな。
子どもたちを叩いてまでできるようにしてほしくて、鍵盤ハーモニカを支援したわけじゃない。
今日はマリンといろいろ話したから、そこんとこ、分かってくれてたらいいなと思う。
マリンは今日自分がやってたことに、私がここまで意見してきたことを驚いていたし、きっとカンボジアではマリンのみならずこれが当たり前ってとこあるんだろうな。
なんだか、きれいごとでは語れないカンボジアの教育を垣間見た気がします。
みんなが楽しめればと思って支援したピアニカも、できなくて先生や友達にたたかれるあの子にとってはきっと「こんなものなければいいのに」という代物だとおもうとなんだか残念です。
あと数回、訪問のチャンスがあるので、
どんなふうに活用してほしいのか。
何が目的で鍵盤ハーモニカを持ってきたのか。
もう少しマリンと話しながら進めていきたいなと思います。
つぎに、最近思ってたこと。
最近1年生がピアニカの学習をはじめました。
初めて楽器に触るし、きっと喜ぶだろうな~と、思ったんだけど、こちらでも衝撃的事態が。
数人ほどですが、鍵盤を吹きたがらない子がいたんです。
なんで?って聞いてみたら、「汚い」って。
支援してもらったピアニカは日本からの中古。誰かが使ったものなんです。
ただ、ちゃんとクリーニングはされてるし、中には新品同様のものもあるし、歌口部分はちゃんと取り替えられているものだってある。
きれいにしてもらって使える状態で運ばれてきていますが、やっぱり誰かが使っていた感は否めない。
せっかく支援してもらったものを「汚い」って言われると、ちょっと悲しいし、イラッとします(笑)
タダでもらっときながらなんじゃそりゃ、と内心思いました。
でも、この子たちが鍵盤をくれと頼んだわけじゃない。
もちろん、鍵盤をさわれることを喜んで、なんのためらいもなく吹いている学生だってたくさんいるけど。
カンボジアって日本以上に潔癖なところがあって、人が口を付けたものに、自分も口つけるとかありえん!って思ってるとこあると思う。
そういう子たちに、いいから吹け!といって指導をする気はない。
私ができることは、「汚いから吹きたくないなー」っていう気持ちが「なんか面白そうだからやっぱり吹いてみよう」って言う気持ちになるように、楽しさを伝えることしかないと思いました。
1週間後には、みんな吹いていたので(嫌々の子もいたけど)、まーいっか―と思いましたが、この出来事は結構考えさせられた。
今日かいた二つのできごと併せて思うのは、
送る側と受け取る側の気持ちのずれ。
送る側はそりゃ、少しでも楽しく使ってくれれば、ぐらいに思って送る。
受け取る側は、それをありがたく受け取って大事に使う人もいれば、えーこんなんいらんわーって思う人もいる。せっかくもらったんだから、ばしばし叩いてでも子どもたちにマスターさせようって思う人もいる。
送った人は自分たちの手を離れた時点でその先がどうなってるのか分からない。
受け取った人は送った人たちの気持ちがわからないし、自分たちの思いで受け止める。
それはしょうがない。
しょうがないことだけど、なんだかちょっともやっとしています。(笑)
でもこういうことに対してもやっとするというのは、どこかで「支援してあげている」と上から目線があるからなのかもしれません。
カンボジアにはカンボジアの受け止め方ややり方があることをしっかりと認識しないといけない。
任期終了間際になっていまさらですが(笑)
なんとも締まりのない長いブログになってしまいました。
