まあ、神が与えし試練や苦難に対する態度、というか日本語の「態度」って訳は良くないよなあ、attitude、方向性とか?

 

人生にとってプラスの方向とか、生産的な方向に向かうべきなわけで、そこはそういった犯罪者と違うわけだけど、

 

というか、残念ながら人間は誰しもあらゆるパラメータにおいて何らかの限界があるわけで、

 

その限界を超えた負荷をかけられてしまうと、逆ブレしてしまうというか、人生にとってマイナスの方向、非生産的な方向に敢えて向かってしまう、端的に言うなら、ヤケになってしまう、というのは分からなくもない。

 

だから、そのへんをどこまで耐えるか、とか、耐えるのではなく、合気道ではないが流すとか、かわすとか、柔よく剛を制すというか、柔軟な姿勢で心構えしておくとか、そういうのが大切なわけだけど、

 

まあ、そういう意味で言うと、あんまり凶悪犯罪者に肩入れしたくはないものの、菅氏が与えられた試練なんて、あくまで客観的なものの見方だけど、大したことないのではないかな、とは思う。

 

というか、逆境の大きさも問題ではあるが、もっと問題なのは、その大きな逆境に立ち向かう自分や周囲の環境があるか、手を伸ばせばつかめるか、つかめそうにないものでもつかめてしまった運とか、

 

そういう運も含めたところで人生の分かれ道になっているというのも往々あるわけで、まあ、菅氏本人でないと本当のところは分からない、

 

だから、客観的な判断というのは、言い換えれば他人の偏見混じりであって、危険なジャッジなわけだけど、

 

何が言いたいかというと、

 

苦労したからって品行方正に育つとは限らないし、しなくても良い苦労はするべきではないし、苦労しすぎて人間折れてしまうと、寧ろ人として壊れた人格になるというのは往々にしてあるわけで、

 

まあ、なんの苦労もしてないように見える総理大臣が前任だったわけですが、

 

苦労人だからって真っ当な人間という証明にはならないし、

 

だからといって、自分は真っ当な人間が政治家になるべきとか、そういう考えも自分にはまったくない。

 

要は自分の利益になるか、国民の利益、国益になるか、それだけで妖怪であれ何であれ、というか寧ろ、まともじゃない人じゃないと政治はできないし、そういう人に政治をやってもらいたいわけですが、

 

この国では永遠にそれもなく滅ぶんだろうなあ、と思う今日この頃