先日の出来事でありました。





私はお仕事に向かうために最寄の駅までの道をそそくさと歩いておりました。





わりと人通りの少ない道を歩いておりますと、私の数メートル前方に、大きめの荷物を持った派手めの若い女性が歩いておりました。





その若い女性は大きなボストンバックとキャリーバックを持ち歩いてらっしゃいました。





私は、今から海外旅行にでも向かうのか、羨ましいなあ、うふふ、と感じておりました。





そして、ほほえましく私がその女性を追い抜かそうかとしたその瞬間、その女性が私に声をおかけになりました。





「あのー、すいません。」





声をかけられることをまったく予期していなかった私は動揺しましたが、瞬時に、きっと道を尋ねられるのだろうと予測し、平静を保ちました。





しかし、次に女性から発せられた言葉は私の想像とかけ離れたものでありました。





「荷物を持っていただけないでしょうか?」





その瞬間、私はパニック状態におちいりました、いえ、パニック状態というよりは、思考回路が瞬間的に停止したのであります。





まさか、突然若い女性に荷物を持ってくれと言われるとは夢にも思っていなかったのでありますから、状況がイマイチ理解できなかったのであります。





しかし、持って生まれた天性のノミの心臓、そして日頃から入念に鍛錬しているイエスマンぶりをいかんなく発揮した私は即座に





「はい」





と答えました。





いや、答えてしまったというほうが正確でありましょう。





女性は私にとても大きなボストンバックを差し出し、「タクシーの拾える大きな通りまでお願いします」とおっしゃいました。





流れに飲み込まれた私は即座に





「はい」





と答えました。





持ってみますと、そのボストンバックは一体なにが入っているんだろうと思うくらい、恐ろしく重いものでありました。





しかも、私自身も仕事で使うコント用の衣装入りのバックを持っていたために、両手に思い荷物を持つこととなり、あまりの重さに手がプルプルとしてしまうくらいでありました。





隣を見ると、その若い女性は涼しい顔でキャリーバックをカラカラとひいてらっしゃいました。





「なんなんだ、この状況は。お体の弱ったお年寄りのお荷物を持つのなら全然かまわないが、なぜ私は今から遊びに行く若い女性の荷物を運ばなければならないのか。」





私はその意味のわからん状況と、その若い女性の態度に多少怒りを感じましたが、





「いや、このかなり重いボストンバックを持つのは女性にはとても大変なはずだ、たまにはこういう人助けもいいではないか、良い事をすればきっと今日一日良い気分でいられるはずだ」





と、天使のような心で腕をプルプルいわせながら荷物を運び続けました。





我ながら不思議な光景でありました。





一見すると、その光景は今から海外旅行に出かける幸せそうなカップルに見えたに違いありません。





男性の方は数分前に出会い荷物持たされてるだけのただの通りすがりなんて、まさか思いますまい。





その光景もさることながら、空気的なものもとても奇妙でありました、まったく会話もなく、淡々とお互い歩を進める状態なのであります。





なんとなくきまずい状況でしたので、私は空気を読んで女性に笑顔で話しかけました、「海外旅行かなにかですか?」





「はい」





女性はぶっきらぼうに答えました。





「なんなんだ、この女。いい加減にしろよ、でっけえ重い荷物持たせた挙句、感じも悪いってどういうことなんだよ、こっちは今から仕事だってえのにてめえの楽しいバカンスのための荷物持ってやってんだぞ、だいたい、なんで俺が気をつかって空気を和ませようとしなくちゃいけねえんだよ、てめえがちょっと気をつかって俺の機嫌を取るべきだろうが、こっちは腕プルプルいわしてんのによ、このボストンバック、その辺のドブ川にでも投げ飛ばしてやろうか、この海外クソ旅行女が」





私はいよいよ怒りを感じ始め、心の中でそうわめき散らしましたが、平静を装いました。





「こんなことでイライラしても仕方がない、それにもうちょっとで大通りだし、この女性は悪気があるわけではないんだ」





後半は必死に自分で自分を鼓舞し続けました。





そして、ようやく我々は大通りにたどり着きました。





この時には私の腕はプルプルをはるかに超え、痛みのようなものまで感じておりました、しかしその苦しみから間もなく解放されるのであります。





そして女性は言いました、「新宿方面はどちらですか?」





私は「あっちです」と答えました。





「ではあそこまでお願いします。」





女性は歩道橋の向こう側を指差しました。





ハアハア言いながら私は即座に答えました。





「はい」





我々は歩道橋の階段を上りはじめました。





私は泣きそうになりました。





怒りを超え、なにか悲しみを感じ始めたのであります、なぜこの感謝のかけらもない女性の荷物を腕がもげそうになりながら持ち続けなければならないのか、





と同時にとても面白くなってしまい、うふふと笑ってしまうほど精神状態が乱れておりました。





私に荷物を持たせていたその女性も私を見て、おそらく気味が悪く感じたのではないでしょうか。





歩道橋を渡り終えると女性は私に非常にあっさりとした口調で「ありがとうございました」と言いました。





「いえいえ、いいんですよ」と私は殺意をこらえながら、ひきつった笑顔で応えました。





女性はタクシーで海外旅行に向かい、私は手をプルプルいわせながら電車で仕事場に向かいました。





私はこのせいで、遅刻をして怒られました。






いや~、人助けって気持ちがいいものですね!