11月16日発売の「Number」にて、多田野のインタビュー記事が掲載。
表題は
「決して逃避ではなく ~多田野数人は何故漂流するのか」
その号のナンバーの特集は「越境秘話」で、中田や野茂など、海外で活躍する日本人スポーツ選手の特集でした。
内容としては、スキャンダルの発覚から四国ILまでの集大成的なものになっており、1年目のことがやや多かったです。
タイトルからして例のスキャンダルに触れた感じのものですが、やはりと言うかなんと言うか、この記者の方は例の件について度々多田野に訊いていたようです。
(いらんことすんなって感じ)
その度に、多田野投手は「もう終わったことですから」と、口を閉ざしていたようです。
近年、日本人でもメジャーを目指す選手は珍しくありませんが、その大半はNPBで実績を上げてから移籍するケースがほとんどで、日本のファンにはマイナーリーグの過酷な環境はまだあまり知られていないように思います。
昨年(2008年)、元ENEOSの田沢投手がNPBを経ずにメジャー宣言をしましたが、これを受けて多田野投手は
「どれだけ分かっているのか」
的な趣旨の発言をしていましたね。
本当に、それに尽きると思います。
「Number」の記事に挙げられた例としては、
・月収は日本円にして12~3万円ほどだが、アパートとレンタカーを借りて普通に生活するだけで出費は20万を超えた
・当然ながら、コンビニなどは無い
・専属の通訳も居ない
「やっと言葉を交わすようになったチームメイトが、翌日にはロッカーの荷物と共に姿を消している」なんてことも、良くある話だったそうです。
それでも、
「そんな過酷な環境の中で、チームメイトたちとの絆は固かった。
『同じ環境で野球をしている一体感と言うか、ミスをしても、後に引きずらないように皆が声をかけてくれる』
そんな環境で野球に集中出来る事が嬉しかった」
同じ号に、松坂の特集もありました。
同じ1980年生まれ、「松坂世代」の筆頭ですが、ひっそりと渡米、泥の中を這いずり回るようにメジャーを目指していた多田野に対して、全日本の注目を一身に浴びながら華々しく渡米する松坂。
それでも自分の目には、多田野の方が眩しく映りました。
メジャー昇格後、1Aで一緒にプレーしていたアストロズのルーク・スコットと同じ舞台での再会。
味わったことの無いような、感動を覚えたそう。
「お互い1Aから此処に来るまでの努力は、口にしなくても分かりますから。
メジャーでその絆を感じたことこそ、アメリカへ行って1番大きな財産かもしれません」
「マイナーからメジャーへ上がった時点で、誰もがその選手を認めてくれる」
やっぱりメジャーリーガーってのは、こう言った苦楽を経験してこそ、真にメジャーリーガーたりえるんじゃないかなあ、と思いました。
最後に記者が「ではどうやって『あの出来事』を乗り越えましたか」と聞くと、多田野は
「自分にそんな力は無かったですが、多くの人たちに教えてもらったことが大きかったと思います」
と、答えたそうです。
こうして、波乱万丈だった多田野投手の2006年シーズンは幕を閉じることとなりました。