年が明けた2005年1月7日から数日間、和田と横浜の松家と一緒に自主トレを行った。

前夜に和田が松家に電話して一緒に自主トレをすることになったところに、多田野が飛び入りで参加した模様。


松家は多田野たちの2期下の東大のエースで、2004年のドラフトで指名されて入団。

この頃はまだ東大生だった。


和田からは

「人さし指の第2関節から先で、通常のスライダーと逆方向に切る」

多田野には

「ドアノブを上からひねりつぶす感じで」と、2人のスライダーを伝授され、


「自分が投げていたスライダーとは全く違う。和田さんバージョンは落ちて、多田野さんは高速で曲がる。持ち球にできれば」

「2人とも楽しそうにいい回転のボールを投げる。
 多田野さんは体ごっついし、和田さんはバネで走ってる。すごいです」

と語っていた。



和田は自身のブログで以下のように語る。


自主トレは進んでおります!かなり下半身は筋肉痛ですが…。
横浜の松家君もがんばっていて、いいボール投げますよ!
多田野はあいかわらずすごいボール投げてます。
メジャーの風格がでていて僕ももっと風格がでるようにがんばらないといけないですね。



しかしこの自主トレ、東大のグラウンドは使用出来なかったり見つけたグラウンドは硬式禁止だったりと練習場の確保に苦労したよう。

(結局、都内某大学のグラウンドを借りていたようですが・・・)


この数日後、ポスティングでのメジャー挑戦を視野に入れている旨の発言をした際に

「多田野からも『早く来いよ』と誘われている」

と言うエピソードも披露。




そして22日、都内の河川敷で最後の自主トレを兄、昭人さんと行い、24日に渡米した。


このオフに同級生たちとたくさん接触したことで

「同期にはアメリカに行きたがっている人が多い」ことを実感。

そして、自分がアメリカでやっていることは幸せなことだと実感したと言う。


「松坂や和田? (メジャーに)関心がありそうでしたね。みんなが来る前に実績を残して、アドバイスできるようにしたい」

と語っていた。