高良港、松橋港の写真。
江戸時代には松合港と共に肥後藩の第一港として栄えました。
明治になり鉄道が通り、
三角西港?八代港へと物流の中心が移りました。
なんと港が消滅してしまいました。
今は港町だった事を知るものがほとんどいないのです。
http://blogs.yahoo.co.jp/humanitysingo1978/38442840.html
現在の様子は前に記事にしました。
昭和まで、アメリカへの牡蠣タネの輸出が盛んでした。
現在はこんな感じです。
アメリカの会社は非常に合理的な経営だったそうです。
牡蠣剥き小屋が立ち並び、
半農半漁で暮らして来たこの地域も潤った様です。
若き日の祖母や親戚も写ってる!
この辺かな?
不知火海は穏やかな干潟の海で、
牡蠣や海苔の養殖も盛んでした。
ゴルフ場や畑の農薬などで汚染が進み、養殖不能になりました。
今なら反対運動が起きますよね。
こんな感じで毎日出荷していたそうです。
輸出の際、最も厳しかったのが、
牡蠣の天敵、ニシの除去でした。
サザエの様な巻き貝?の一種ですが、
これが一匹入るとコンテナ全滅だったみたいです。
アメリカ側が厳しくて大変だったそうです。
こちらではこのマツアイカキは食べられなくなったのですが、
アメリカでは高級食材として今尚一流店で出されており、
近年、逆輸入、熊本県がクマモトオイスターとして売り出しました。
この写真の頃から実に六十年後の出来事です。
クマモトオイスターは現在、数が少なく超高級食材で、
現在は限られた料亭でのみ食べられます。
昔はもういらん、と言っていたくらい毎日食べてましたが、
三つ四つで1000円超えます!!
六十年の時を超えた記事、凄いですねー!
こんな写真も、
後ろは海苔の乾燥場ですね。道具がたくさん写っています。
この写真のおじさんも還暦超えてるし(笑)
海苔を運んでいたうちの一族初購入の車だそうです。
当時の名残で、
我が家の雑煮は牡蠣がこれでもかと入っていますし、
おせちにもカキフライが入っています。
海苔は一食で一枚食べたりするし、今となっては金がかかってしょうがない。
港の消滅、松橋駅を中心に空襲で激変してますから、
当時と現在の写真を比べられるなんて、
光栄ですね。
港の消滅、松橋駅を中心に空襲で激変してますから、
当時と現在の写真を比べられるなんて、
光栄ですね。
この写真、凄くない!?
和太鼓教室おんがくの森代表・坂本新吾
メール wadaiko@ongakunomori.net
電話 08033760407
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