今は亡き、高良港、松橋港の昔の写真 | 和太鼓×囲碁×子育て 和太鼓教室おんがくの森、おやこ囲碁交流会 のブログ

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YouTubeチャンネルの動画です。

昔の写真をデジタル化して出てきたのが、

高良港、松橋港の写真。


江戸時代には松合港と共に肥後藩の第一港として栄えました。

明治になり鉄道が通り、

三角西港?八代港へと物流の中心が移りました。


なんと港が消滅してしまいました。

今は港町だった事を知るものがほとんどいないのです。

http://blogs.yahoo.co.jp/humanitysingo1978/38442840.html

現在の様子は前に記事にしました。


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昭和まで、アメリカへの牡蠣タネの輸出が盛んでした。

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現在はこんな感じです。

アメリカの会社は非常に合理的な経営だったそうです。
イメージ 3

牡蠣剥き小屋が立ち並び、

半農半漁で暮らして来たこの地域も潤った様です。

若き日の祖母や親戚も写ってる!

イメージ 4

この辺かな?



イメージ 5


不知火海は穏やかな干潟の海で、

牡蠣や海苔の養殖も盛んでした。

ゴルフ場や畑の農薬などで汚染が進み、養殖不能になりました。

今なら反対運動が起きますよね。

イメージ 6

こんな感じで毎日出荷していたそうです。

輸出の際、最も厳しかったのが、

牡蠣の天敵、ニシの除去でした。

サザエの様な巻き貝?の一種ですが、

これが一匹入るとコンテナ全滅だったみたいです。

アメリカ側が厳しくて大変だったそうです。


こちらではこのマツアイカキは食べられなくなったのですが、

アメリカでは高級食材として今尚一流店で出されており、

近年、逆輸入、熊本県がクマモトオイスターとして売り出しました。


この写真の頃から実に六十年後の出来事です。


クマモトオイスターは現在、数が少なく超高級食材で、

現在は限られた料亭でのみ食べられます。

昔はもういらん、と言っていたくらい毎日食べてましたが、

三つ四つで1000円超えます!!



六十年の時を超えた記事、凄いですねー!

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こんな写真も、

後ろは海苔の乾燥場ですね。道具がたくさん写っています。

この写真のおじさんも還暦超えてるし(笑)

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海苔を運んでいたうちの一族初購入の車だそうです。


当時の名残で、

我が家の雑煮は牡蠣がこれでもかと入っていますし、

おせちにもカキフライが入っています。

海苔は一食で一枚食べたりするし、今となっては金がかかってしょうがない。


港の消滅、松橋駅を中心に空襲で激変してますから、

当時と現在の写真を比べられるなんて、

光栄ですね。


この写真、凄くない!?


和太鼓教室おんがくの森代表・坂本新吾
メール wadaiko@ongakunomori.net
電話  08033760407