アーカイブス和太鼓☆幽霊と妖怪の違い その2! | 和太鼓×囲碁×子育て 和太鼓教室おんがくの森、おやこ囲碁交流会 のブログ

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アーカイブス、つーパパの過去記事をふり帰るコーナーです。


幽霊と妖怪の違いその2です。


太鼓と関係あるのか??と思った方は、

前回の記事を見てみてね☆


和太鼓は、神道・仏教と密接に関係していて、

その対角に位置付けられている、妖怪などもまた、関係があるんですね。


みおちゃんの本番前の質問に始まったこの思考の旅は、

もう少し続きます。


さて、幽霊とは、一般にどんなものを言うのか。

生き物の魂が、この世に残ったもの?

見える人に見えて、見えない人には見えないの??


つーパパは、神も妖怪も霊も、基本的には同じものと考えています。

幽霊の 正体見たり 枯れ尾花

いわゆる、見間違いや、空耳は別として、

自然界の全てのものが持つ、『エネルギー』を、

具現化し、信仰だったり、鎮魂だったりやるわけです。


やはり、エネルギーとして、そこにあるなら、実在するものだと考えます。

生体エネルギーで、一番メジャーなのは『気』ですよね。

そのほかに、『気配』と言うものがあります。

これは、人が活動している時に必ず出る、

電気、その他『気』などのエネルギーだと思います。

電気が一番分かり易いですよね。

人間は、思考も筋肉の運動も全て電気信号に近いもので、行っています。

動いた時の、衣服、空気、肌の摩擦によっても、

電気が発生します。


その電気のパターンは、人によって全く違い、

その人がいなくても、その人のエネルギーのパターンが、

発生、または残留すれば、その人の気配を感じてしまうことになります。


噂をすれば影、こういうもの無意識で感じ取っての事なんですね。


で、幽霊とは、こういったエネルギーのパターンが、

肉体の死後も残留してしまうものと考えられます。

脳内の思考も、全て電気信号、その複雑なパターンが、

空間に焼きついていたなら、地縛霊、

塊となって、移動すれば浮遊霊といったように、呼ばれています。


今度は、受信するアンテナ側の問題があります。

光や空気の波ではないので、

眼や耳では、感じられません。

しかし、実際には、生物にも磁場や、そのほかのエネルギーを感じ取れる、

能力があります。


ですが、人間は、脳が発達しているため、不確定要素を受け入れられません。

不確定要素というのは、人間にとっての、と言うことですが。


芸術をやっている人は、分かると思いますが、

音楽にも音以外に、絵にも、色や線以外にエネルギーが焼きついているのは、

分かりますよね??

それは、全ての人に分かるものではない、と言うことも、

分かると思います。


それと同じで、空間や、物に焼きついたエネルギーを感じ取れると言うことなんです。

実際に眼で光として捉えるのではなく、

別の情報として脳に入ってくるようなものです。


音が伴えば音楽、絵が伴えば絵画、何も伴わないと、心霊になるんです。

自分に感じられないものを否定したがるのが人間ですが、

これらのエネルギーは、実際存在していると考えます。


ただ、話が出来るかどうか、は疑問です。

その想いのエネルギー信号が焼きついているならば、

新しい思考は出来ないはずですよね。

想いが一方通行で、伝わるなら分かりますが、

会話は難しいのではないでしょうか。


妖怪にしても、心霊にしても、神の力で、

何とか封印しようとしてきたのが、この国の歴史そのものだと思います。

武勲や、才能のありすぎた人間を、神として祀るのがその証拠。

恐れているんです。

菅原道真を祀る天満宮、徳川の東照宮、熊本にも、加藤清正の加藤神社。

民衆にお参りをさせることで、

これらのエネルギーを封印しているものなんですね。


舞台の上でも、『あの人には花がある』といいます。

同じ事をやっていても、なぜかあの人が一際目立つ。

何でだろう。

こういう、第六感に訴えるエネルギーが、観客に届いているものだと考えます。

音でも動きでもない、『良さ』。

その空間に自分のエネルギーを充満させる。

これが舞台の花。太鼓叩きが目指す、道なのかな。。。。


何とか太鼓に繋がりましたよ!! 褒めてーーー!!

コメント宜しくお願いします!!(しにくいって笑)