アーカイブスはつーパパの過去のブログを掘り起こしてまとめるコーナーです!
是非見て行ってね!
結局、私のいう、『伝える』は生命の伝承、と言うことになります。
前にも、書いてみました。↓
そして、人間の行動、欲求の根源は、全て性欲(種の保存のための欲)であると、考えます。
食欲、睡眠欲などの本能的欲求ですら、性欲のためにある、と言っても過言ではないしょう。
見たい、聞きたい、そういった欲求や、社会的欲求も、
つまりは、性欲が昇華された物であると考えています。
道具や科学にしても、生きて種を残しやすくする、と言う点では、
これに当てはまると思います。
音楽においても演奏する側、受け取る側も、ある種の興奮状態、
つまりは、真の意味でのエロチズムを追い求めている、
のだと考えています。。。
相手のいない音楽。。。
私は一時期、山の木を相手に伝えようと努力してましたが、
伝えようとせずにただ叩き続ける場合にも、
深く深く探っていけば、内から沸いてくる、熱い熱い感情、
そこに行き着くのではないでしょうか。それこそが、命の力。
周りに誰もいなくても、本能で、その興奮状態を求めている、
そんな自分が見えてくるように思います。
こういった意味での文化を、
私たちの周りの物に例えると、
『燃える様な恋』が、適当でしょうか。
激しい恋は、理性を超え、ただただ、好き。
なぜ好きか分からないのに、自分でも止められず、走ります。
なぜ、演奏したいのか、なぜ、聴きたいのか、なぜ、伝えたいのか。
分からないのに、止められないんです。
まさに究極の恋、まさに究極のエロチズムだと思いませんか???
伝える側も、伝えられる側も、伝えられない物も、
本能で、同じ思いを持っています。
『意思を、命を、自分を』伝えたい。
それが文化の根源であると、私は考えています。
ということで、暴走しました。。。
非常ーーーーーーーーーーーに、コメントしにくいとは思いますが、
コメントいただけると嬉しいです。
つーパパ文化論でした。
おんがくの森代表・坂本新吾
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電話・08033760407