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寿 栄 -鎮魂の歌

養護施設生活&矯正施設生活を総算すると人生の半分以上の割合を占める悪たれ人生を、最後の懲役となる約8年余りの服役生活のなかで、思い描いた文章をまとめています。

 

 早速、私とタカギ、ヨシヤの3バカトリオは、コンチュー探しに夢中となり、校舎の片隅に在った古い塚の水溜まりに、何か動く、水面に浮いたり沈んだりしている生き物を発見した。

この3バカは不思議に覗き込んでいたが、そこに丁度用務員のおじさんが通りかかったので、この生き物は何かと尋ねたら、「ボーフラ」だと言う。

しかし、私たち3人の頭の中に過去、ボーフラというものがインプットされた記憶がない。

「カ」の幼虫だとは教えてくれて立ち去って行ったおじさんだったが、「カ」=「蚊」だとは思わない3バカ。

幼虫だけは先生ちゃんから教えられた言葉だ。これはひょっとして、と思い、3人揃って図書室で「カ」が昆虫かと調べてみると昆虫だと判明。

こんな時だけは熱くなる3バカだ。

 

 

 その後、牛乳ビンを3バカはそれぞれ手に持って、ボウフラちゃんを取りに行くと、何と多いことか、バケツいっぱいにもなり、丁度、教室の片隅に使わないで置いていた水槽の中に入れた。

「このボーフラちゃんは、「カ」になる昆虫ばい!」目をギラギラと輝かせて、3バカはクラスメートに訴えた。

クラスメートも、この3バカの熱く語る言葉に、まさか、「蚊」になるとは思ってはいない。

全会一致で飼うことに決定した。そこで何処か賢い奴がいて、逃げたらいけないと透明ビニールを水槽の上に張り付け、名札の針でプツンプツンと穴を開けた。

私は、大好きだった、先生ちゃんの目の届く所にいつも置いておきたくてボーフラちゃんを先生の机の端に置くことを提案し、これもまた全会一致で決定した。

そして、それを待ってたかのように始業のチャイムが鳴ったのである。

つゞく

 

 

 

 夏の夜、耳元で飛び回る蚊に悩まされ、結局眠れないと言う人も多いかも知れない。

殺虫剤や蚊取り線香などを焚いて殺そうと試みる人も多いだろう。

辞書を開くと蚊は「カ科の昆虫」らしい。

しかしいくら昆虫と言っても、カブトムシやクワガタのように飼って、育てたいと思う人は先ずいないだろう。が、馬鹿馬鹿しいことに居たのだ。

 

 私が学園に入って間もなくの頃であった。理科の勉強で、花壇にアサガオの種をまいて、その成長記録を付けて行くのである。

やがて芽を出して花が咲く頃には、私の頭の中は観察中毒と化し、ひとつひとつの花に名前を付けていった。

カーちゃんでも良し、バーちゃんでも良し、頭の中に浮かんだ名前を付けて行ったのだが、何がどうしたのか、同級生たちもそれに釣られて、同じように呼んで行く。

そこで、大きく変えてはいけないルールが同級生の中に不思議と存在していた。

それは名前のあとに必ず「チャン」と付けなければならないと言うこだわりである。

その理由はなぜなのかは思い出せないが、それが、私たちクラスの当時の決まりでもあった。

教室内を見ても、チョークちゃんが有ったし黒板ちゃんもあり、椅子ちゃんも有った。

当然ながら、同級生を呼ぶにも「ちゃん」は必ず必要で、私は「ホタルちゃん」と呼ばれ、京子ちゃんは「京子ちゃんちゃん」は絶対化だったのだ。

それで一番困ったであろうと今になって思うのは、先生ちゃんだった。

スカートがとても似合う若い先生で、その先生ちゃんも、私たち児童を呼ぶ時は「ちゃんづけ」しないとみんな無視していた。

 

 

 アサガオの観察も終えようとした頃、私のオツムの中ではまだ、観察したいと言う激しい欲望が渦巻いていて私は、突然国語の授業中だったかに訴えた。

「今度はコンチューなんか良かばいね。」

私は、覚えたてのコンチューと言う言葉に興奮して、クラス全員に訴えた。

国語の時間に突然、変なことを言ったのが悪かったのか、一瞬。静寂に包まれた教室だったが、私と「タカギ」と共に「3バカトリオ」と呼ばれていた、いつもおどけている「ヨシヤ」が、私と同様に、最近覚えた「コンチュー」に興味を示し、「そりゃ、良かばい!」と言う言葉に、クラス一同が束になって、「コンチューの観察をしたい。」と先生ちゃんを困らせた。

 

しかし、私にしろ、ヨシヤにしろ、コンチューというものがどんなものかは分かっていない。

クラスの殆どが分かっていなかったのが本音の所だろう。

仕方なく先生ちゃんは、「そうじゃね。昆虫なら、幼虫から蛹になって羽化して、成虫になるまで観察出来るけんね。何処かに幼虫がいたら、取って来て良かばい。」と答えた。

先生ちゃんの言葉に私を新鮮な世界に導いてしまった。

「サナギ」「ウカ」「セイチュウ」・・・

何だかとても嬉しくてたまらなかった。

 

 

私の祈り

天におられる 私たちの神よ。

私の半生はことごとく罪に汚れて、

自分の欲求だけを満たし、

人を傷付け満足して参りました。

 

目の前にある大きな愛にも気付かず、

ひとりこうして償いの日を待ついま、

やっと、私自身の罪の重さと、罪の深さに気付きました。

 

どうか愚かな私の罪をお赦しください。

 

 

 (旧奈良監獄)

 

現在のこの苦しみの時を、

神の恵みによる試練の時とするならば、

この時を、主である、イエス・キリストが示された、

愛と信仰と赦しにより、

乗り切ることが出来るはずだと信じます。

 

どうか罪深き私に、

神の僕となれますように、

そして、イエス・キリストの名により、心満たされず、彷徨う人たちを救える人となるべき道を、

私に示してください。

 

そして、私が過去に関わって来た、

全ての人たちが、

神の恵みにより、幸せになれますように、

心豊かになれますように、

お祈りいたします。  アーメン。

 

平成13年7月13日 拘置所にて