MVRDV 「KM3」
ブログを始めようとしましたが、なんだかんだ、だいぶ時間が空いてしまいました。
ブログの活用方法としましては、基本的に日々の勉強を書き込むことで頭の中を再整理することですね。
他にも自分の考えなどが、他の人と共有されたり、議論できる場になっていったらと思います。
ということで、最近何冊か本を買いました。そのうちの何冊かを紹介したいと思います!!すべて、まだ読んでいないので紹介とまでは行きませんが。。。。
一冊目はMVRDVの「KM3」です。
以前「FAR MAX」では高密度化していく都市への展望と限界を提示し、MVRDVのリサーチ主導の設計を世間に広めていった。
その続きとして、「KM3」では前作と同様に、都市の高密度化を問題のひとつにし、地球規模でどういった問題が起きるか?それに対して悲観的であるものの、それを逆手にとってかなり楽観的でユニークな提案を行っている。また、都市が膨張していく際、そのスケールの定義を「m2」から「km3」にかえる必要があるとし、過密化していく都市に対して縦横無尽に空間を利用する「3Dシティ」という概念を提案している。
これらは、アーキグラムが提案してきた一連の計画案に非常に類似しているように思われる。アーキグラムの計画案を菊池誠は「トランスアーキテクチャア」のなかで、ディストピアと表現している。
たしかに、アーキグラムは当時、消費社会化していく都市に対して「プラグ・イン・シティ」など様々な計画案を輩出している。そこでの表現方法はユーモアに描かれているものの、強烈な批評性が伺える。しかしながら、彼らの現況に対するポジションが作品から見えにくい。おそらく、作品の裏には消費社会に対する強烈な批判があったとおもう。
MVRDVも現況の都市、社会に対して、何か強烈な批評性はあると思うが、今のグローバル資本主義に対して新しいイデオロギーの提案ではなく、あくまでも今の社会にたいしてのアイロニーとしての作品であると思う。
1969年以降、一元論化して、ベルリンの壁崩壊以降、完全にではないがおおよそ一元論化した社会に対してメッセージとしてアイロニーとしての作品を提案していくことは大きな価値があると思われる。
だからこそ、私も卒業設計でアイロニーとしての作品をつくった。しかし、私はディストピアを表現したもの、その作品に対してユーモア性はあたえず、悲劇的なディストピアのみで表現した。
なぜなら、リーマンブラザーズの破産とともに、もろくも批判対象であった社会が崩壊ししまった。そうした場合、将来に対する展望はなくなり、ユーモア性はあたえられなくなってしまう。むしろ、現状の都市、社会に対して希望を私は見いだすことができなかった。
個人的にこれからの建築は何処に向かい、MVRDVがアイロニーとして作品を計画してきたが、MVRDVは現況に社会に対して何を思い、何を計画していくのかが気がかりである。
そして「KM3」を勉強することで、これからの社会に対する展望が見えてくることを望む次第です。
ブログの活用方法としましては、基本的に日々の勉強を書き込むことで頭の中を再整理することですね。
他にも自分の考えなどが、他の人と共有されたり、議論できる場になっていったらと思います。
ということで、最近何冊か本を買いました。そのうちの何冊かを紹介したいと思います!!すべて、まだ読んでいないので紹介とまでは行きませんが。。。。
一冊目はMVRDVの「KM3」です。
以前「FAR MAX」では高密度化していく都市への展望と限界を提示し、MVRDVのリサーチ主導の設計を世間に広めていった。
その続きとして、「KM3」では前作と同様に、都市の高密度化を問題のひとつにし、地球規模でどういった問題が起きるか?それに対して悲観的であるものの、それを逆手にとってかなり楽観的でユニークな提案を行っている。また、都市が膨張していく際、そのスケールの定義を「m2」から「km3」にかえる必要があるとし、過密化していく都市に対して縦横無尽に空間を利用する「3Dシティ」という概念を提案している。
これらは、アーキグラムが提案してきた一連の計画案に非常に類似しているように思われる。アーキグラムの計画案を菊池誠は「トランスアーキテクチャア」のなかで、ディストピアと表現している。
たしかに、アーキグラムは当時、消費社会化していく都市に対して「プラグ・イン・シティ」など様々な計画案を輩出している。そこでの表現方法はユーモアに描かれているものの、強烈な批評性が伺える。しかしながら、彼らの現況に対するポジションが作品から見えにくい。おそらく、作品の裏には消費社会に対する強烈な批判があったとおもう。
MVRDVも現況の都市、社会に対して、何か強烈な批評性はあると思うが、今のグローバル資本主義に対して新しいイデオロギーの提案ではなく、あくまでも今の社会にたいしてのアイロニーとしての作品であると思う。
1969年以降、一元論化して、ベルリンの壁崩壊以降、完全にではないがおおよそ一元論化した社会に対してメッセージとしてアイロニーとしての作品を提案していくことは大きな価値があると思われる。
だからこそ、私も卒業設計でアイロニーとしての作品をつくった。しかし、私はディストピアを表現したもの、その作品に対してユーモア性はあたえず、悲劇的なディストピアのみで表現した。
なぜなら、リーマンブラザーズの破産とともに、もろくも批判対象であった社会が崩壊ししまった。そうした場合、将来に対する展望はなくなり、ユーモア性はあたえられなくなってしまう。むしろ、現状の都市、社会に対して希望を私は見いだすことができなかった。
個人的にこれからの建築は何処に向かい、MVRDVがアイロニーとして作品を計画してきたが、MVRDVは現況に社会に対して何を思い、何を計画していくのかが気がかりである。
そして「KM3」を勉強することで、これからの社会に対する展望が見えてくることを望む次第です。
ブログなんてものを始めたいと思います。
とりあえず、ブログなんてものを始めたいと思います。
日々の出来事、建築勉強などなど自分の頭の整理がてらに始めるにはちょうど良いかと思うわけで。始めようと思いながらも、特に自分には文才というものが無いことがブログを始めるにあたっての最大の心配事です。
なにはともあれ、論文の提出まで日々是決戦であります。
論文の題名は
ディストピアがあたえた影響と現在におけるユートピアの価値とその必要性
ースパースタジオとレム・コールハースの作品を通してー
内容は心の準備が出来次第、発表ということで。。。。
ではでは。
日々の出来事、建築勉強などなど自分の頭の整理がてらに始めるにはちょうど良いかと思うわけで。始めようと思いながらも、特に自分には文才というものが無いことがブログを始めるにあたっての最大の心配事です。
なにはともあれ、論文の提出まで日々是決戦であります。
論文の題名は
ディストピアがあたえた影響と現在におけるユートピアの価値とその必要性
ースパースタジオとレム・コールハースの作品を通してー
内容は心の準備が出来次第、発表ということで。。。。
ではでは。
