幸せな人生を創っていくために、またQOL、人生の質を上げていくために大切なことのひとつに、自分が無自覚のうちにしていることを意識的に『見張る』あるいは『観察する』、という行為がある。

 

 

どういうことかと言うと、自分が普段接する人たちや周りの環境や状況に対し、自分が一体どういう思いや考えや感情を抱き、どういう言葉遣いをし、どういう行動をとり、どういうアウトプットをしているのか、ということのひとつひとつをくまなく見つづけるということだ。

 

 

ぼくたちは自分が思っているよりもかなり自分の言動に無自覚なところがあるものだ。その無自覚のうちにしてしまっている普段の言動を注意深く見つめること、つまり『観察すること』をくり返しくり返し訓練していくこと。そうすることによって、無自覚にしている自分の行為に気づき、それをより建設的なものに変え、自分の現実を少しずつより良いものに創り変えていくことが自分でできるようになるのだ。

 

 

例えば、“怒り”という感情のコントロールとそのアウトプットの変換。

 

 

人間って何か予想外の出来事が起きてしまったとき(例えば駐禁の切符を切られるとか、何かのトラブルが原因で電車の中で長時間足止めをくらう羽目に遭うとか)、あるいは、まわりの人がなかなか理解してくれないとき、(例えば恋人や家族の誰かが自分のことをいつまでたってもなかなかわかってくれないとか)、などに怒りが沸いてきて感情を爆発させやすい生きものなんだけど、その怒りの感情をそのまま誰かにぶつけてしまうと、結果的に自分も相手も不幸にしてしまう。

 

 

怒りを爆発させていいことってひとつもないのだ。もしひとつだけいいことがあるとすれば、それが自分の人生を壊すってことに気づかせてくれるってことくらいかな?ぼく自身振り返ってみると心当たりがある(苦笑)。

 

 

自分が特にどういうときに「怒り」の状態に陥りやすいのかを「観察」によって知り、あらかじめ理解し自覚しておくこと。これがはじめのステップだ。まずこれができるようになれば、次に似たような状況がやってきて、自分の心を怒りの感情が支配しはじめようとしたときに、それに気づき、その頭をやさしく抑えることができるようになる。

 

 

そして怒りをそのまま爆発させる代わりに、どう建設的なカタチでアウトプットできるかを考え、実行する。これが次のステップだ。

 

 

例えば、「私はあなたがやったことに対して、すごく憤りを感じているし、すごく悲しい。次からはこういうことをしないでほしい」というようなことを相手に率直に言葉にして伝える。建設的に相手に伝える。より良いカタチでアウトプットすることで、自然と怒りは収まっていく。あるいは小さくなっていく。

 

 

あなたが建設的な対応をしたうえで、相手の態度に変化が見られなければ、そこから先はもう相手の問題であって、あなたの問題ではない。それ以上あなたがそのことでいつまでも煩わされる必要など全然ないのだ。他人をコントロールすることはできないし、またする必要もない。

 

 

余談だけど、起こってくるもろもろの出来事に対して、自分がどう感じるか、どういう感情を抱くのか、どうリアクションしていくかということは結局のところ、自分の責任なのだ。同じように、相手の感情や言動も相手の責任なのだ。そういう意味において、ぼくたちはいつまでも幼稚なままではいけない。大人にならなければいけないのだ。それは大人としての大事な「嗜み」のひとつだとぼくは思う。自分の感情や言動をマネジメントしていくことは幸せな人生を創るのに大切な要素のひとつだ。

 

 

あたりまえだけど、何事も一朝一夕にはできない。だからすこしずつゆっくりゆっくり進んでいけばいいと思う。ぼく自身、3歩進んで2歩退がるかんじでずっとやってきた。これからもそうだろう。そうやって少しずつ無自覚な自分から卒業するというゴールにまた一歩近づいていくのだ。