onenessに行こうよ

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春めいてきました
BOT開発も300を超えて
先がみえてきました

みなさんありがとうございます

春ということで時事ネタになりますが
時事ネタでも世界のことを
ちょっと考えていけないかって
そう思って投稿してみたんですが

もちろんこれならインプ悪いはずはないって
そういうところはありました

でもいいんです
一つのきっかけになってくれればそれで

それでこの投稿で何がいいたいのかって
毎日意味を感じてみませんかということです

サクラが花から咲くというのは科学的には
理由がまだよくわからないらしいですが
それは問題の中心ではありません

一応理由の部分に関心のある人のため以下掲載しておきます

 

そもそも解釈の問題ですね
どう思うのかというところを私がどうするのかって
そこが問題です

科学的なことは間違っていたら別に訂正すればいいです
無理に科学的でないとこだわる必要なないと思います

ただ妄想みたいな思い込みになると問題がでてくるかもしれませんが
科学は結局完全でない仮説と理論であることからして
そこまで絶対視する必要はありません

科学は道具です

別にこの道具にこだわる必要もないのです

その意味でサクラがどう訴えかけているのかということを
科学の証明なしに考えてみましょうってことです

もちろん考えた結果が科学的であったら猶更いいですね

私が今回出した結論は

サクラが春を知らせがっているでした

別にこれが真理というつもりはありません
ただそういうサクラの気持ちはあるんじゃないかって
それは真実かなとは思っています

証明はできないでしょうけどね

 

人は限界や問題があると

実は自分がなんか悪いことしたのかって

ネガティブに考えたりしてしまいがち

 

もちろんそういう場合もあるでしょう

しかし本当はそうでないケースの方が

多いんです

 

単なるミスとかそういう事務的な

場合はもちろん除きますが

 

そもそも限界に到達することは

そうそうありません

 

限界というのは終わりという意味もあるため

いわゆるラグナロク=終末です

 

終わりの日ということになりますが

大げさなっていう声もあるかと思います

 

しかし人生にはそんなときがあるんです

もちろん空からミサイルが降ってきたり

とかそういうことにはなりません

 

もしかしたら家の中で

突然起こるのかもしれません

 

そうなんです実は何が起こるかというと

 

「俺今まで何していたんだ」

 

一体俺がみていたものはなんだったんだ

 

そういう疑問です

 

これを通過したときに

どう世界を選択していくのかで

 

また世界線を戻されるように

実は人生動いているともいえなくはありません

 

選択は

 

✔ まずは気が付かない

✔ まあ人生こんなもんだと思う

✔ さてどうしたものかって考える

 

通常最初の二つなんですが

これがいわゆる世界線を戻される

そんな状態の選択です

 

いつになるかわからないけど

また戻ってきます

 

状況や条件は違うにしても

また戻ってきます

 

この俺何していたんだという問題は

解決されないといけない

 

根本的な哲学的な課題なので

どうしても人は一度は通過して

乗り越えていかないと

 

人生に一つの勝利を残せないのです

 

さてそのどうしたものなのかって

どういう答えが得られるのでしょうか

 

それはまた今度のお話で

 

この話は動画にする予定です

また完成したら告知します

 

 

 

 

 

 

限界点というのは

なんでしょうか

 

それが本当は自分があるべき姿への

扉なのかもしれません

 

そもそも過去や今に囚われる人の

イメージというのは

 

未来につながりませんから

 

あらたな場所や道は

何かの限界からくると言えなくもない

 

だから限界点がきても

自分の能力がないせいとかでなくて

 

これを運命の分かれ道と思って

そこで何を抱くのかで

 

未来がきまるなんて

考えてみたらいいでしょうね

 

結局進歩には痛みが伴うのです

 

アニメの主人公みたいな

体験は本当はしたくないのですが

 

でもしなくてはならないときが

私たちの現実にもあるんです

 

そこで投げ捨てないその道を

選べるのか

 

そのために普段から

備えておかないといけませんね

 

限界点における気持ちを

 

スイッチって一体なんなの

よく学生とかの勉強のケースに多い
スイッチ入れろって話

 

しかしよく考えてみると
なんだかわからないものである

 

根性論的な意味あいになりがち

スイッチ入れてやら

 

スイッチ入れろ的に言われても

なんかスイッチは入っても

うまく機能しない

 

そんな感じもあるわけで
これはどういうことだろうと思うことがある

 

スイッチ導入の仕組みは何なのだろうか

 

 

スイッチが入るのは中にオイルがあるから

実は当たり前のことなんだけど

 

中に何かないとスイッチ入れても

結局それはすかすかな何かを
無理に動かしているような感じになれば
動き続けないのは当たり前

 

なのでオイルっていうのが何なのか
そこをしっかり理解しないといけない

 

オイルがあるからスイッチが入って
機能しだすのであって

 

それがなければどうにもならない

だからそもそもオイルは何なのかって
そのあたりがキーポイントになる

 

 

オイルについて正しいイメージを持っているのか?

一体オイルとは何なのだろうか

でも実はよくよく考えると
答えは当たり前のことです

中にあるオイルはスイッチで
起動されて動き出す何かを動かすものです

実はオイルがないと動くものも
動かないのです

それは円滑油であっても同じことですが

えーそれって何って思うでしょうね

でも実は心のスイッチは入れる前も後も
入っているんです

なかったのはスイッチが入っていなかった
ではなくてオイルがなかったんです

きちんとしたオイルが入っていないから
うまく動いていなかっただけなのです

勉強だったら将来のためというオイルが
入っていただけだからその狭い意味でしか
スイッチが入っても動きません

就職したら下手したら大学入ったら
オイル切れになってしまいます

結婚ということだけの目的だったら
結婚したらオイル切れになるかもしれません

どれもとてもきつ苦しそうな
スイッチとシステムです

でも勉強をすることの本当の姿をオイルとして
入れておけばスムーズに動き出していくものです

オイルに対するイメージの問題だったのです

 

 

そもそもオイルのこと知っていたのか

 

オイルに対するイメージが問題とはどういうことでしょうか

 

それはスイッチを動かすオイル(機械のシステムを含め)
もしくは動かしているものの仕組みや意味を理解するってことです

 

勉強なら勉強を
単に事務的作業としてやっていたら

 

それは長続きできないのは私たちは経験上
知っていますし体験しています

これが将来のための勉強というわけです

 

つまり無理くりして
将来のためといっても実はそれが
勉強を動かしているものの本質ではないので
納得できなくてスイッチが入っても
単発になるわけです

 

大学にいってとかなんかなんのために
自分は頑張ってきたんだろうって

そういう苦しみと挫折感しか残らないでしょう

 

これは勉強のケースですが実はなんでも同じです

 

自分がスイッチ入れようとしている何かが
あるとしてそれに対する考えが本当に
正しいでしょうか

 

 

 

勉強オイルは就職のためならそれは打算的オイル

 

勉強の例でいうなら将来のために勉強する
というのは間違っていないですが

 

勉強する対象である何かがただ将来のために
存在しているのでしょうか

算数の計算や社会の歴史などを追求することが
自分の将来のためにあるんでしょうか

そんなことありません

そもそもそれを追求していて勉強の成績が
上がったところで単なるゲームのスコアと
変わりません

それでは何のためにそんなことで
一生懸命にならないといけないのでしょうか

私は勉強を将来のためにするなというわけでもなく
将来に役にたたないというわけでもありません

将来のためにするし役にもたつのですが

勉強する学問についての正しい姿を
理解しないでそれをすることの意味がないと
それをいいたいだけなんです

 

オイルとは学問の姿がなんであるのか知ること

以下書くものは学問についての例ですが

仕事なら仕事についても同じようなことが言えます

 

つまり学問とは何であるのかってことを理解すれば
それをする意味がわかります

 

わかるってことは実はオイルなんです

 

英単語を覚えることで英語がわかると教わりましたけど
それも確かにわかるですがスイッチを入れたあとに
でてくるものです

 

ここでいうわかるはスイッチを入れる前に必要な
オイルの性質をわかるってことです

 

例えばなぜ英語を勉強しないといけないのでしょうか
それを考えたことはありますか

 

国際社会だからビジネスで必要だから

 

それはどれも小さなスイッチの部分です

本質は違ういます

 

だってなぜ英語でないといけないのですか

 

日本が戦争で負けたからでしょうか

アメリカが世界を支配しているからでしょうか

 

ここでのオイルはどこまで掘り下げるのかって
ことはありますが

 

まず納得できるところまで
掘り下げていかないとならないのです

 

英語を学ぶ理由は世界がそれでつながっている
共通の言葉だからです

 

アメリカとイギリスがすごいから学ぶわけでは
ありません

 

もちろんさらに深い理由をみつけてもいいでしょう
そうするともっといいオイルになるわけです

 

つまりオイルの質が悪かったから

スイッチが入らないだけです

 

頭が悪い悪くない以前の問題です

 

それではどうすればいいのか

 

それは簡単

表面的なことで頑張るのもできるならしたほうがいいですが

 

もっと根源的な何かを考えて理解することで

いろいろなオイルを蓄える必要があるってことです

 

 

私はそれを極端に表現していて心の声を聴くといっています

 

実はこれはオイル以前のオイルのもと精製する部分の
意味論のところになるんでさらにいいオイルが出るようになる
方法論です

 

 

思い込みが何か悪いことのような
風潮があるかもしれない

 

似たような形で勝ってにそれが
悪いと思われてしまっているものも
意外に多い

 

それについての言及は避けるが

 

思い込みについては
思い込みが悪いのではなくて

何を思い込んだか
その何をの部分が悪いのである

例えば夢を思い込むことを
夢を抱くという

それに基本的に夢を抱くことは
悪いこととされない

けれどこれも問題

どんな夢もいいとは限らない

悪夢という言葉もある

 

だから夢自体はいいと規定もできない

 

この場合は思い込みを肯定されるという
普通とは違うことに加えて
善悪判断もなしに夢をいいものと
既定するという二重の勘違いをしていることになる

 

これは複雑な例

 

話を元に戻すと結局は何を思い込んだのか
の何の部分が問題となっていて

 

思い込みという行動は単なる付属的な行動だったりする
この付属的なものはいかなる場合においても

善悪とは関係なく単なる過程的なものであって
それで良しあしを判断したら本当のところは見えてこないのだ

 

それでは何ってことにおいて
何で善悪を判断するのか

 

その根拠はどうなのか

それについては申し訳ないが人それぞれ
これって言うことは言えないが

ただ心に問うてみて

 

悪いという思いが基本的に浮かばないもの

それなら善か善に近いものだろうと

 

そう思えるとしか私も言えない

まあ難しい問題です