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なんとも痛快な毎日まで。

twitterやmixiの方では少しだけふれたんですが、こちらでもうちの兄貴がブログを書け書けとゆってくれているので東京の祈さん来島の報告と関わってくれた多くの友人達に感謝と挨拶まで。


ブログを読んでくれた人や当日店に来てくれた人にはご存知の通り15日から3日間にかけて東京からはるばる祈さんが淡路島を訪ねてきてくれていました。状況が分からない人は前回のブログを読んでもらえれば事の成り行きが浮き彫りになります。笑。それでは俺の心の動きと同時にどうぞ!


とにかく今回の招待に関してもてなしとして自分が初めから決めていた事は、どうあろうと祈さんが決める事や発言に関してNOと言わない事だった。無理難題にも俺は出来ますよ。その答えしか用意してなかった。


待ち合わせのバスセンターで待っている間中、久しぶりの再開に嬉しさを感じつつ、緊張しながらバスの到着を待った。会ったらとりあえず男同士抱き合って再会を噛締めようと自分的にはかなりの大河なストーリーを脚本していた。(俺も地元で頑張って来たんだからとにかくいい所を見せよう!)組んでいた腕に力が入りすぎてあばらが痛くなった.


ところが再会はというと随分拍子抜けで、久しぶりに会った先輩は風貌からして世間から完全に逸脱した姿で、昨日から酒飲み続けてんだよって言ってベロベロで東京から神戸までの記憶がないらしく、ワープして来たのかななんて俺の涙の再会を平気で裏切ってくれた。心にポツリポツリと雨が降り始めた。(なんとか飲まれない様に自分を出さないと。)


迎えの車に乗った瞬間にメモまでして俺は俺で募る話も沢山用意していた筈なのに、祈さんはというと33歳のおっさんを捕まえて「お前は相変わらずかわいいな。」とまるで愛玩動物を撫でるように俺の頭をはたき続けた。指につけた僕の全財産ですと自慢気にいうでかい指輪がまるで愛でる気を笑うかの様に俺の頭を破壊し続けた。再会5分でNOと言おうとする自分を必死で慰めた。(はははと意味なく笑う俺は完全に祈劇場の観客にまで成り下がっていった。)


実家でもてなしに用意した鱧とウニには祈さんもご満悦で俺も何とか良いもてなしが出来たと胸を撫で下ろした瞬間、今度は恵介に内緒でお父さんお母さんに会いに来ます。ってどういうこと?


気を取り直して今回の来島の主題というべき仕事でなんとかいい所を見せようと自分の丹田から意識して仕事に集中した。祈さんはベロベロだというのに俺よりも全てにすばやく反応していた。スコアで分かりやすく言うと完璧なワンサイドで俺はワントライも奪えないまま部の存続を危惧した。これ以上の挫折はなかなか経験できる事もんやない.


どっぷり疲れて帰った自宅で、持参したMACにお前の仕事の活躍に繋がる資料を沢山持ってきたから一緒に見ようぜって言ってくれたので、眠い体を無理矢理起こしつけて気を引き締めた。待ち続けた挙句、出てきた言葉は見つかんねえなだって。出てきた写真はバリの風景写真だった。「このイメージ。」そう言って睡魔に襲われる俺を起こし続けた。ここまでくれば俺の憧れの先輩は難攻不落の砦になった。眠る間中、頭の中で「このイメージ。」って言葉の意味を探した。また挙句に眠れなくなった。久しぶりに数える羊は千頭を越えた。


気がつけば2日目も3日目もその繰り返し。でも結局はそのやりとりの一つ一つが気持ち良いほどに先輩後輩の位置づけを決めさせてくれた。その思いに今の自分は救われていった。そう思った瞬間に気負いは自然になくなって、純粋に祈さんとの再会を楽しもうと思う自分がそこにいた。別れが急に寂しくなった。


過ごす時間を通して人との出会いは特別な意味を持つ事を感じれたほんまに幸せな3日間だった。元気すぎる親父の接待は本間に疲れたけど 笑。1日目の営業で2人で肩を組んで撮った写真が(2人とも見事に覚えてないけど)そのまま3日間を写していたような気がする。


帰ってからもう2週間。祈さんからの連絡はほぼ毎日続いていて、繋がりは確かで感じる孤独も半分になった。俺のような人間に毎日家族だからなってあったかいメールをくれる。その気持ちだけでおつりがくる出来事だった.素麺送るからなって言って、昨日届いた祈さんの地元の素麺を実家でまた鱧を食べながらすすった。味なんかようわからんけどなんか染みたなー。祈さんほんまにありがとうございました!


いつでも言ってください。飛んできますよ!
。

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ちょっとだけ昔の話を

今から十年前、22歳の頃に何も考えずに青い夢を描いて勢いだけで上京した。

そして何も分らずかっこいいからって理由で働きだした店、渋谷secobar。

東京は田舎もんの自分にとって何もかもが強烈で眩しく、会う人会う人がほんまに一生懸命でおもしろくて、そこになんとか自分も馴染もうと、寝る間も惜しんで必死になって遊んだ。働いた.毎日18時間、休みは半年に一回だった.

いつか自分も地元でこんなかっこいい店を開いて自分の夢を叶えたい、そう思ってそれこそ寝食も忘れて学んだ.

でも最初の頃はほんまに自分でも情けなくなるぐらい下手くそで何もできんくて先輩に毎日毎日けちょんけちょんになるまで怒られた。そんな自分が悔しくて悔しくて始発でいつも泣きながら明日にはなんとかええ仕事をしたいそう思って帰った。

結局次の日も何もできなくて帰る。その繰り返し。

その中でも自分がその店で働く事を許してくれた祈さんって先輩がいて、駄目な自分を毎日駅まで見送ってくれて励ましてくれた。いつか自分もこの人みたいにいいサービスがしたい。いつしかこの人が自分の目標になった.

その人は今まで自分がみた中でも一番のサービスマンで、その人を訪ねて店はいつも満杯だった.

その祈さんは自分が入った2ヶ月後には他にやりたい事があると店を離れて、店は毎日びびるぐらい暇になった.

その後、慎ちゃんっていう同級生に店は任されて、2人でなんとか祈さんがいた頃みたいに店を満杯にしようぜってアイデアを出し合ってなんとかお客さんも増えていった。

慎ちゃんは俺と同級生だっていうのに自分のやりたい事全部に気が回るスーパーマンみたいな奴だった.足を引っ張らないように自分もなんとかついていって自分らしさを見つけては試してそれなりのサービスができるようになっていった。

今思えば祈さんがやめるときに自分にいった、お前にはなにができるんだ?その一言がそのまんま活躍のヒントになっていった.何もできない自分がその時に決めた事は誰よりも早く職場に行く事。泥臭い仕事、全部を引き受ける事。その二つを毎日続けた。その時には店は慎ちゃんのおかげがほとんどやけどいい感じで一杯になった.

その頃に出たblue herbのアルバムでbossが人生の勝負時がきたら待ったなしだぜっていうリリックを聴いて自分も今が勝負時って、今思えば過信して地元で店を開く決意をした.secobarで働いて1年半が過ぎていた.

最後のpartyではこんな自分を訪ねて店はパンパンになった.薄情な俺もその時は胸が熱くなって仕事中泣きっぱなしだった.

その時に祈さんも駆けつけてくれて、自分の今に繋がる言葉や姿勢、約束をくれた。十年たってお前が俺の歳になった時にまた会おうぜ。その時には下手くそなお前もまあいいサービスができてんだろ?

その約束を胸に今のONEをオープンさせた.そこから8年。約束を忘れないようにお別れの日に祈さんがくれたネックレストップを胸に付けて地元で自分ができる事を考え続けて店を守った.


約束の十年、今週末の金曜日と土曜日にその祈さんが淡路島に来る事になった。


祈さんはそんなの覚えてねえよっていうと思うけど約束を守る為に。しかも自分がやってる店で仕事もしてくれることになった。また大っきな夢が叶う。

自分は今になってもそん時の祈さんみたいにいいサービスはできないかもしれないけどなんとかいいとこを見せたい.そう思ってやることもわからんからとりあえず体鍛えようと毎日走って4キロ、ぶよぶよのだらしない体を絞った。

とにかく今は自分の今働く地元、洲本、ONEでいいとこを見せたい。その気持ちで一杯だ。

自分もここでがんばってやってんすよってとこ見せたいからその2日は店をパンパンにしたい。その2日で祈さんになんとか受けた恩を少しでも返したい。いつも全開やけどそん時は破裂するまで頑張るからONEが好きな人や俺の事を見放してない人は店に集まって欲しい。こんなお願いしたら情けないけどなんとか自分はその約束に報いたいと思う。

力を貸して下さい!もちろん来てくれた人には全力で答える。

とにかく世話になった祈さんに全開でONEを見せたい。祈さんもあって絶対に損はない人。俺にパワーをください。ええかっこさしてくれよっていうても多分いつもみたいにぐだぐだになるだけやろうけど 笑。金 土は力を込めるで。ONE待ってんで!

頼むわ。長くなったけど読んでくれてありがとう。助かった!
なんか今の自分のタイミングでぐっと来たので紹介します.

2009年、イスラエルで開かれたエルサレム賞での村上春樹さんのスピーチの内容(http://www.47news.jp/47topics/e/93925.phpからの引用)です.花野恵介 Twitterでも紹介しているので興味のある方はフォローお願いします.

もう一度、今ある解釈をリセットして、文中にあることを熟慮して信じる力を養っていきましょう!稚拙さの先で選ぶ事の重要さを!毎日ええ感じですわー。以下内容です.ちょっと長いけどできれば時間を割いてゆっくりと噛み締めながら読んでほしいです.シェ~!!




こんばんは。わたしは今日、小説家として、つまり嘘を紡ぐプロという立場でエルサレム8 件に来ました。
 
 もちろん、小説家だけが嘘をつくわけではありません。よく知られているように政治家も嘘をつきます。車のセールスマン、肉屋、大工のように、外交官や軍幹部らもそれぞれがそれぞれの嘘をつきます。しかし、小説家の嘘は他の人たちの嘘とは違います。小説家が嘘を言っても非道徳的と批判されることはありません。それどころか、その嘘が大きければ大きいほど、うまい嘘であればいっそう、一般市民や批評家からの称賛が大きくなります。なぜ、そうなのでしょうか?

 それに対する私の答えはこうです。すなわち、上手な嘘をつく、いってみれば、作り話を現実にすることによって、小説家は真実を暴き、新たな光でそれを照らすことができるのです。多くの場合、真実の本来の姿を把握し、正確に表現することは事実上不可能です。だからこそ、私たちは真実を隠れた場所からおびき出し、架空の場所へと運び、小説の形に置き換えるのです。しかしながら、これを成功させるには、私たちの中のどこに真実が存在するのかを明確にしなければなりません。このことは、よい嘘をでっち上げるのに必要な資質なのです。

 そうは言いながらも、今日は嘘をつくつもりはありません。できる限り正直になります。嘘をつかない日は年にほんのわずかしかないのですが、今日がちょうどその日に当たったようです。

 真実をお話しします。日本で、かなりの数の人たちから、エルサレム8 件賞授賞式に出席しないように、と言われました。出席すれば、私の本の不買運動(ボイコット)を起こすと警告する人さえいました。これはもちろん、ガザ地区での激しい戦闘のためでした。国連の報告では、封鎖されたガザ市で1000人以上が命を落とし、彼らの大部分は非武装の市民、つまり子どもやお年寄りであったとのことです。

 受賞の知らせを受けた後、私は何度も自問自答しました。このような時期にイスラエルへ来て、文学賞を受けることが果たして正しい行為なのか、授賞式に出席することが戦闘している一方だけを支持しているという印象を与えないか、圧倒的な軍事力の行使を行った国家の政策を是認することにならないか、と。もちろん、私の本がボイコットされるのは見たくはありません。

 しかしながら、慎重に考慮した結果、最終的に出席の判断をしました。この判断の理由の一つは、実に多くの人が行かないようにと私にアドバイスをしたことです。おそらく、他の多くの小説家と同じように、私は人に言われたことと正反対のことをする傾向があるのです。「行ってはいけない」「そんなことはやめなさい」と言われると、特に「警告」を受けると、そこに行きたくなるし、やってみたくなるのです。これは小説家としての私の「気質」かもしれません。小説家は特別な集団なのです。私たちは自分自身の目で見たことや、自分の手で触れたことしかすんなりとは信じないのです。

 というわけで、私はここにやって参りました。遠く離れているより、ここに来ることを選びました。自分自身を見つめないことより、見つめることを選びました。皆さんに何も話さないより、話すことを選んだのです。
 ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それは小説を書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。

 「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。

 そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?

 この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。
 
 しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。

 私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。私は、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことで、個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています。というわけで、私たちは日々、本当に真剣に作り話を紡ぎ上げていくのです。

 私の父は昨年、90歳で亡くなりました。父は元教師で、時折、僧侶をしていました。京都の大学院生だったとき、徴兵され、中国の戦場に送られました。戦後に生まれた私は、父が朝食前に毎日、長く深いお経を上げているのを見るのが日常でした。ある時、私は父になぜそういったことをするのかを尋ねました。父の答えは、戦場に散った人たちのために祈っているとのことでした。父は、敵であろうが味方であろうが区別なく、「すべて」の戦死者のために祈っているとのことでした。父が仏壇の前で正座している後ろ姿を見たとき、父の周りに死の影を感じたような気がしました。
 
 父は亡くなりました。父は私が決して知り得ない記憶も一緒に持っていってしまいました。しかし、父の周辺に潜んでいた死という存在が記憶に残っています。以上のことは父のことでわずかにお話しできることですが、最も重要なことの一つです。

 今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目はみえてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。
 
 このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです。
 これが、私がお話ししたいすべてです。