今回は、RBの話、というよりは近況と成長記録を。

 


都内を中心に、全国いろいろ緊迫している最中ですが、

無事、3月末で長男は4歳となりました。

「再発の可能性が下がる5歳まで、あと1年」とつい数えてしまいます。

視力のハンディはあれど、元気いっぱいの4歳を迎えることが出来ました。
 
 

〇妊婦都内通勤のなう。

 


お腹の第2子は32wに入りました。

 

31wの時点で、約1860gとちょっと大きめくらい、かつ、逆子w。

一度、腹部の鈍痛と張りがあって30wに予定外で受診したのですが。

 



NST異常なし、胎動異常なし、子宮頸管異常なし。

つまり、異常なし。

(ついでにそのときは逆子も直ってたのに、翌週またひっくり返っていた)



「何にも無くて良かったね」とにこにこ笑顔で見送ってくれた若い先生に感謝。

 



年度末くらいにフェードアウトして有休消化にあてるつもりで、

昨年末に「一応数日年度またいどくか」、くらいの気持ちで産休希望を出したのですが。

コロナ騒ぎのあれこれで、後任に引き継ぎができておらず。

 


あと、

数日、

出勤したら、

やっと、

産休です。

 


さすがに、感染爆発、重大局面、都市封鎖、等々の単語が並び、

おっかなびっくりの通勤なので、電車やオフィスにいる時はかなりナイーブになっています。



都内オフィス街だと、

「沿線のこの施設で感染確認」「同僚の知り合いが陽性」「隣の建物の〇人に陽性」とかはもうザラで。

 

マスクや顔を触ってはいけない、というので、外では極力顔を触らずにいるのですが、



義眼、乾くんです。



あと、ドライアイで見えてる方の目がしょぼしょぼして、その痛みでついでに鼻水が出る現象もよくあり

マスクの下で鼻を垂らしながら仕事先と雑談することもしばしば。

ドライアイは瞼をぐっと押さえると涙腺が刺激されて多少マシになるので、それが出来ないのがつらい。


 

ただ、長男も含め、出歩く頻度が下がったせいか、インフルエンザはおろか、

今年は風邪はほとんど掛かっていません。(暖冬のせいもあるかもですが)

手洗いとか予防って大事なんだなぁ。

 



正直、PGDーM、羊水検査を経てやっと「後は生むだけ」という普通の妊婦になれたのに、

こんな世紀のウイルスショックと妊娠・出産期が重なるなんて、ついてないな、とは思っちゃいます。

(あと五輪イヤーベビーじゃなくなったのも地味に悲しい)

 


ただ、「自分がかかるわけない」と思っている一部の方に比べたら、

人とは違う災厄(っていうか疾患)を経験している分、「絶対はない」という危機感があり、



一方で、「あーもうやだ最悪なんなのマジコロナ憎い」みたいな不安定メンタルになりそうな時wも、

あきらめというか、「んなこと今いったってやれることやらないとどうしようもないし」的な開き直りみたいな感情もわいてきたり、

そうやって不安を理性でなんとかなだめながら、1日1日しのいでいる感じです。

 



都内に限らず、妊婦さんや乳幼児がいる方の不安は大きいと思いますが、

ほんと、ただただ無事に産めますように。

 



国立がんセンター内でも罹患者が出ていますね。

こういうとき、一極集中でしか治療できないRBのデメリットを思い知らされます。


治療中の方、遠方から受診の方、また医療従事者の方への影響が最小限で済むことを祈ります。

 

 



〇4歳の誕生日と「死ぬこと」
 

3月半ばより自分の誕生日の日付を心待ちにしていた長男。

毎年、夫は年度末に海外出張で、2歳3歳のお祝いは私と2人か、じじばばを呼んで、という感じだったのですが、

さすがに今回は出張がなくなり、3月末の土日は夫も休みになりました。



ちょうど外出自粛要請も出ていたし、寒くて雪も降るという話だったので、引きこもってお祝いすることに。


 

来年は乳児がいるはずなので、

1人を存分に祝ってあげられるのは今回が最後。




奮発して好きな電車の立体オーダーケーキを頼み、

「ハンバーグとカレーとポテト」というガスト行った方が早いリクエストのメニューを作り。



外は天気も社会情勢も大荒れで、

久々にキッチンに長時間立ち続けて私の尾てい骨も悲鳴を上げていましたが、

誕生日っぽくお祝いができました。

「日常」のありがたみを実感。

 

 




そんなこんなで誕生日の飾り付けもそのままに、ご機嫌だった先日の夕食時。

突然、ミートソースを食べながら

 

「ママ、死んだってなに?」

と尋ねてくる長男。

 


テレビで動物のドキュメントが流れていたので、ナレーションでも入ったのかな?とか、

志村けんさんの訃報の日だったので、保育園で先生達が話題にしたかなと、思いあたりました。

 



車の免許は取れないけれど、かつて教員免許を持っていた私(中高ですが)。

今は更新していないので、凍結状態ではありますが、知識はきっちり教えたい性分です。



3歳(4歳)児の理解力や認識力は大人の想像以上で、「まだ早い」はないと思っています。

 



ただ、これまで「なぜ恐竜はもういないか」などを聞かれた際も、

「いなくなっちゃった」とは教えても、

「死ぬ」という単語はあえて使っていませんでした。

 



とっさに出てきたのは、

「死ぬっていうのは、お話したり食べたり動いたり出来なくなって、もうずっと会えなくなることだよ」

という平々凡々な説明。




「『踏切に入ると危ない』『車にひかれないように』ってママがいうのは、怪我をして痛いってだけじゃなくて、たくさん怪我をすると死んじゃうからだよ」


「死んじゃうともうぎゅーってしたりお話ししたり出来なくなっちゃうから、それは嫌だから、気をつけてねって何回も言っているんだよ」


と、怪我を例に付け加えてみる。

 



何かしら考え込んでいた長男は、さらに、

「僕も、ママも、パパも、死んじゃうの?」と、哲学的な質問。

て、手強い4歳なりたて児。




「うーん、危ないことをしたり、病気になったりして何もしなかったらね。でも会えなくなるのは悲しいから、みんなそうならないように気をつけているんだよ」

と、また付け焼き刃の答え。

 



すると今度は、

「〇〇ちゃん(お腹の子の呼び名)も?」

と聞くので、

「〇〇ちゃんは、今はママがお腹の中で守ってるから大丈夫」

と答えると、


 

「そっかー」とまたしばらく考えた後に、

「じゃあママ、〇〇ちゃんを、ちゃんと守ってあげてね!!」

と、全力で励ましてくれる長男。

 


一瞬、箸が止まり、返答に詰まりました。

 


「そうだね。お腹から外に出てきたら、お兄ちゃんも赤ちゃん守るの一緒に手伝ってね」

 

と、なんとか返しましたが、

子どもの素朴な質問って、ほんと我に返らされることが多いです。

 
 

コロナ騒ぎや出産への不安で毎日アップダウンがある中、

改めて、胎内外(笑)で、命を宿している、そして育てている母親として、

自分が守るべきもの。


そして、いつか誰もが迎える、もしかしたら明日かもしれない「死」までに、

何が出来るか、何を子どもに残してあげられるか。


 

その日はいろいろ考え込んでしまいました。


(まず部屋の掃除と模様替えをしたいんですけどね、目先の懸案として)

 

 


いろんな知識をどんどん吸収して、広がっていく長男の世界。

そのやりとりが今は何よりも楽しくて、貴重で、全て残しておきたくなります。

その世界をどうやったら、自由にのびのび広げてあげられるのか、

普段は日常生活を回すことで精一杯なので、

産休・育休中にすこしゆっくり向き合えたらなぁと思います。