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●移植後(BT1)~判定日(BT9)まで
 
2019年9月5日に、
PGT-M&PGT-AでRBの遺伝なし、染色体異常なしとされた5BBの5日目胚盤胞を移植。
 
その日の夜、猛烈な関節痛と寒気と吐き気に襲われました。
一体何事か。
 
 
 
 
どうやら長男の風邪がうつった様子w
移植後の体調は?とかどころじゃなく、ただただ具合が悪い。
翌日もふらふらで仕事し、その週末は台風15号で玄関が大雨の気圧差で浸水したり、長男の外来があったり、
その後、夫はまたもや海外出張で半月不在で、ワンオペ、バタバタ、バタバタの日々。
「移植したんだよね?」と時々思いださなければ、という感じで過ごしました。
 
 
 
 
薬は、
朝晩の内服(デュファストン)、
1日1回の膣錠(ワンクリノン)、
それと2日ごとに替えるエストラーナテープ4枚。
地味にストレスでしたが、まぁ、自分でホルモン補充を選んだので、致し方ない。
ホルモン補充の注射をする治療もあるようですが、それは私の場合ありませんでした。
 
 
 
エストラーナテープはアンパンマンのムヒパッチそっくりで、
それが腹に何枚もいつまでも貼ってあるので、
「こんなにかゆいかゆいなの?かいちゃダメだよ?」と長男に叱られる日々(笑)
 貼ってるからかゆくなってかいてたんだけどねw
 
 
 
 
 
そして、いわゆるフライング(早期の市販薬での妊娠判定検査)というやつをしようか迷いました。
 
あちこち不妊治療のブログを検索検索。
結果、気になるし、気楽にやってみようと。
ここまでくると、もう私にできることないし、
なるようにしかならないよね、という気分でした。
 
 
 
 
 
 
BT7(移植後8日目)におそるおそる検査。
うっすーーーーーーーーーーい陽性判定。
目をこらしたら見えるね!程度。
まぁ、よかったよかった、という感じ。
 
 
 
2本入りを買ってみたので、
よくBT8(移植後9日目)にも試してみる。
うっすーーーーい陽性判定。
どうやら真っ白ってことはなさそう。
ひとまず安堵しました。
 
 
 
 
とはいえ、子宮外妊娠、化学流産、稽留流産。
不安はつきまといます。
ぬか喜びしないようにと、自分に言い聞かせつつ翌日の受診を待ちました。
 
 
 
 
●移植後9日目、判定日(BT9)
 
判定日は、朝から・・・・長男の保育園の運動会w
 
 
ビジネス形の割り切ってる私立認可園なので、午前中のみのお弁当無しで助かりました。
できないこともあれば、できるようになったこともあり、感動しつつ楽しみつつ、
午後からクリニックへ。
 
判定日が決まった直後に、クリニック最寄りの商業施設でやっている一時保育を予約し
長男はそちらに預けました。
(あまり褒められたことではないですが、預かってもらえないと詰むので視力のことは伏せていました)
 
 
 
採尿、採血をして、待つこと1時間ちょっと。
さすがに、緊張して動悸がする。
 
 
なるようにしかならないけど、PGT-Mに踏みだして1年間、
結婚前の遺伝子検査から数えて5年弱、
自分と家族の人生が大きく変わった色々を思い出していたら、さらに苦しくなってきて。
 
スマホゲームと、病気と関係ない友人らとのラインに没頭してごまかしました。
 
 
 
診察室に呼ばれると、その日はたまたま、移植を担当した女性の先生でした。
入室して、椅子に座るやいなや。
 
「一発成功だね、おめでとう」
とにっこり。
 
 
 
 
思わず、「はぁ~~~~~~」と安堵のため息と共に、今さら手が震えました。
hCG(ヒト絨毛性ゴナドトロピン、妊娠すると胎盤から分泌されるホルモン)値は159。
ネット情報では、100を超えているのが目安だそうです。
クリニックの検査薬にも、陽性のライン。
 
 
 
嬉しい。
でも実感はまだなし。
 
 
 
そんな状態で、その後の処方薬の説明を聞くために看護師さんに呼ばれるのを待ちました。
が、混んでいてなかなか呼ばれない。
 
長男のお迎えの時間が迫ってきて焦る私。
一度外にでて延長出来るか聞き、その返信の電話でまた外に出て。
さらにその延長の時間も迫り、さらに電話すべきか、と迷っていると。
 
 
「ごめんねごめんね、遅くなって」
と、一番最初にクリニックを受診し、初めて不妊治療の説明を受けた看護師さんに呼ばれました。
どうしても長男を預けられずに相談したら、他の患者さんがほとんどいない朝一の時間等に受診を調整してくれたり、
先生によっては嫌な対応もあった中で、始終気を遣ってくれる、好きな看護師さんでした。
 
 
「お迎えあるんだよね、間に合うかな、ごめんね急ぐね」とバタバタ薬を並べだし、
ふとその手を止めて、顔をあげて、
 
「いや、ごめん。その前に、おめでとうございます、だったね。よかった」と一言。
 
最初の先生からの「おめでとう」より、
何倍も実感のわく「おめでとう」で、じわっと涙腺が緩みました。
 
紙袋に薬を抱え、小走りで、時間ぴったりにお迎えに行き、
大はしゃぎで遊んでいたらしいご機嫌の長男と、ご褒美でアイスを半分個。
 
 
 
 うーん、と結果をアイスと共に飲み込む。
よかった、ほっとした、これまでやってきたことは無駄じゃなかった。
そういう安堵感が半分くらい。
 
残り半分は、
「私、全然大喜びの感じではないなぁ」と、冷静な自分でした。
 
 
無事に妊娠できて嬉しいのに、拭いきれない不安。
最先端の技術に基づく検査結果が誤っている可能性は少ないのは分かっていても、
まずはこの妊娠が継続すること。
万が一、検査結果に取り違えがあったら?別の卵を移植していたらどうしよう。
羊水検査で遺伝子検査をして、RBが遺伝していないという確定診断はするべきか。
本当の本当は、生まれて臍帯血で遺伝子検査をして、遺伝していないと言ってもらえて。
眼底検査をして、腫瘍なんて何にもないです、と言ってもらえて。

 

 

遺伝していない子を授かったことのない私は、そこまでして初めて、安心できるんだなと。

 

 
 
この不安、実は自分でも思った以上に根が深くて。
着床前診断ができたら、全て解決じゃないんだなぁ。
 
 
今の気持ちも、これからの気持ちも、
無事に出産を迎えられたとして、結果がどうで、どういう気持ちなるのかも。
同じ経験をしたことのある人とあまり話したことがないので、
今後、同じ道を辿るかも知れない、RBの患者のために、
ありのままに書き残していきたいなと思います。
 
 
 
 
 
 
 
そして、もう1つは。
遺伝性疾患のPGTーMを、国内で正式に選べるようにすること。
自分の人生をかけて、その道を開こうとしてくれている友人を、何が何でも、全力でサポートすること。
 
私は、自分がカウンセリングに通っていた大学病院が、PGT-M申請を出してくれる可能性が限りなく低いことを理由に、
自分の妊娠を優先する道を選んだ。
 
それを応援してくれた友人と、PGT-Mが選べるようになることに希望を見出している患者に、報いることこそが、
多少不運な病気を経験した私が、いろいろ助けていただいた人たちや同じ患者たちに恩返しとして、患者としてできること。
 
 
患者が人生をどう生きるかを選ぶのは、
医者でも、社会学者でも、さらにいえば、子どもの治療を辛い思いで支えてきた患者の親でもありません。
患者本人です。
 
 
迷いがないかといえば、それこそ迷いや葛藤だらけですが、
他人にどう言われようと、自分と自分の家族が生きていく道を自分で選んできたこと、
(片)目をそらさずに、自分と向きあい続けていくことに、何の後ろめたさもありません。
(まさかのここで片目ギャグをカットイン)
 
 
 
これからも、「病気でも幸せに生きてるよ」ということだけでなく、
きれい事だけでは済まない辛いことも葛藤も、全て抱えていこうと思います。
 
 
あーあ、また深刻に書いちゃったw
深夜に書くとついこうなります。
 
ひとまず、無事妊娠できたというご報告でした!