しばらくPGTーMの話ばかりで、ほったらかされている長男笑、少し振り返りつつ記録。


9月末で3歳半になります。
身長はやや低めの95cm、体重は15kgくらい。
マシンガントークで小鉄で甘えん坊のやんちゃ坊主に育っています。
大きくなったなー。



出先のモールに来ていた移動?エアープールではしゃぐ。


●経過観察その後

2017年7月に右目陽子線が、
2018年2月に左目再発の局所治療が終わり、
右目は経過観察2年2カ月、左目は1年7カ月が過ぎようとしています。


もう平気かなと思いつつ、それでも毎回外来は息を詰める瞬間があります。


今年7月の受診で、見えている方の右目の腫瘍痕のところに膜のようなものがある、と言われました。
おそらく、冷凍凝固などの過程で硝子体が膜化したもの、と説明され、腫瘍ではない、と。
これまでもあったものが、はっきり見えるようになったのかもしれないし、
特に消えるものでもない、と。
視力が突然見えにくくなるとかでなければ、現状維持の経過観察以外の必要はないそうです。

ぞわっとしましたが、再発ではなくてホッとしました。


陽子線を受けた筑波は半年に一度、電話で放射線科の先生が経過を尋ねる電話を下さっていて、
国がんは、2カ月前後ほどの間隔で眼科外来を受診しています。

ブログを見ていると、皆さん地元の大学病院で血液検査やMRIをしているのですが、国がんだけの場合、そういったフォローはあまり行われておらず。

主治医の経験則に基づくものも大きいと思いますが、
私自身も実は、物心ついてから定期的な採血やMRIをした記憶はありません。眼科受診のみ。
前任の主治医も、ということは、国がん自体、そういう方針なのだと思います。

なので、長男はここ2年ほど、私が膝に乗せて座った状態での眼底検査のみです。
沈静化での眼底検査もなし。


主治医に聞く限り、経過観察の段階でのMRIの必要性は「三測性(脳の松果体にできる網膜芽細胞腫)警戒以外ないです」ときっぱり。
かつては、陽子線照射前に右目の腫瘍が視神経に被っており、浸潤の可能性を否定できないことから、前後でMRIを撮りましたが、

「今の段階では、MRIに映るのであれば眼底検査で確実に見えます」

とも言われており。

手厚い治療後の検査は安心材料でもあるので、不安がないといえば嘘になりますが、
全身のMRIならともかく、おそらくどこの病院も頭部だけの撮影なので、主治医の言うことも一理あると思えます。
なにより、長男自身の負担が少ない。

メリットとデメリットを天秤にかけるのは難しいです。

怖いのは、陽子線照射部位の肉腫などの発生、あるいは抗がん剤による白血病など血液腫瘍の可能性かな、と。
他の成長期などに生じる骨肉腫はそもそも脚などにできることが多いため、頭部MRIではフォローできず、
親のきめ細かい観察と、長男本人に「痛いとか普通と違ったことがあれば早めに教えて」と伝えるしかないのかなとも思います。


批判ではなく、国がんの小児腫瘍科は、他の拠点病院の小児科ほど、手厚くないというか、そこまで対応する役割の場所ではないというか。
そういうこともなんとなく感じているので、1年に一回程度、都内なら慈恵や成育などで見てもらってもいいのかなぁと感じており、一度相談してみようとも思っています。
まぁ、年1位なら多分国がんでもやってくれるんだけど。

いつになっても悩みはつきません。



●視力

出生直後見えないだろうといわれていた右目で物を見ており、
眼動注の後遺症でほぼ失明状態の左目も変化なし。右目を隠して何か見えるか尋ねても「見えない」とはっきり言うので、光ももしかしたら見えていないのかも。

左目が見えなくなって以降、左目が目頭側に寄る内斜視が少しあります。外斜視ではないので、あまり気にはなりません。


こんな感じ。


保育園は、視力のために要加配児となっていますが、今加配は付いていません。
まだ、手遊びも単純なものが多いのでそこまで他の子と差はない様子。

国がんの視力検査は、5mほど離れた壁に表示されるランドルト環を見せ、幼児の場合は、プラスチック製の大きなランドルト環Cを持たせて、「同じ向きにして」と呼びかけるもの。

3歳を過ぎた頃から、最初は視能訓練士さんが目の前で大きなランドルト環を示しながら練習し、
徐々に離れていって壁までたどり着く、という方法を取っています。

要するに超〜アナログ!(笑)

その検査では、9月の受診でやっと0.1の壁の表示を見て同じ向きに合わせられた、という感じ。
もう少し見えてそうな気もする。慣れてないだけで。

普段絵本の小さなイラストを見つけたり、プラレールの電車に書いてある小さな「JR」という文字を読んだりするので、近くと遠くの見え方にはかなり差があるようです。
よくネットとかで出てくる0.1の視力の世界、みたいなやつとは根本が違うんだろうなぁ。


友達と遊んだり、公園で走り回っていても、見えなくて動きが不安、ということはあまりありません。
左側で何かすると反応は遅いので、かなり視野は狭そうですが、
すべり台やアスレチックも、親の心配をよそにスイスイ行くし、階段やエスカレーターで戸惑うことはほとんどありません。

このままを維持できれば拡大鏡やタブレット、最近某友人が着々と情報収集しているUD(ユニバーサルデザイン)系のデジタル教科書などで字の読み書きなどはできそう。


同じ年の生まれですが、うちは早生まれなので某友人の次男君より1つ上の学年の長男。
なのになんのリサーチもせず、ただただ友人の行動力を尊敬。

転勤族なので、小学校入学時に今の校区にいるのかもわかりません。
もうね、性格的に直前にならないと動けないタイプな私。
友人に感化されつつ、できる範囲でやれることをやろうと思います。



一方で気になるのは。

・絵本などを逆さまに持つことがたまにある

2歳代の頃は、電車図鑑も逆さまに持っていたりしました。
頻度はだいぶ減りましたが、携帯で写真などを見せても、たまに逆さまにして顔をぐっと近づけて眺めています。
正しい位置に直すと普通に見てるし、毎回ではない。

逆さ視覚については、主治医にも一度尋ねましたが、
「認知的にそういう現象もあると聞いたことはあるけど、今この子を見ていても普通にしてるので、逆さに見えているとは考えにくい」
といわれ、
「ごもっとも」と、思いました(笑)



・踊らない、踊りにくい?

今はなき、ブンバボーンにわーお!
新しいカラダだんだんにピカピカブー、だっけ?

ていうか。
なんでエンジンの後にいきなりニンジン食べんのか、慣れない大人には不可解なカラダだんだん。
そんなこと言ったら、ブンバボーン!ってなんやねん!(恥)って、最初思ったけど。

あの手の乳幼児向けの歌って当然大人が作ってるわけで、それに子供達は超食いつくわけで、
パンダのお目目がつけまつげ〜って、それを思い付く大人の感性がすごいと思う。


おや。
話逸れました、こほん。



ブンバボーン系、長男ほぼスルーです。

USA、パプリカは多少踊るし、保育園の運動会でも、踊り系は一応それなりに真似をしていますが、
他の子に比べて鈍いというか遅いというか。

うちの園は小規模な駅前の私立認可園なので、年中と年少が一緒に行動することが多いです。
もちろん、イヤイヤ期なのかなんなのか、頑なに踊らない年少、年中クラスの子もいて、
その子たちに比べたら踊ってるから、踊る意思はある、とは思う。

やはり見えにくいのかなーと思います。
一列に並んで、先生が前でやる動きを真似するというのはかなりハードルが高いのかもしれません。
園には伝えていて、先日の運動会などでも、見本で踊る先生の一番近くに配置されたり、年中さんのしっかりしたお姉さんとペアを組んで入退場するなど、
それなりに配慮はしてもらっています。


少し前に5歳の子達とキャンプに行った時のこと。
地面に置いたスマホに流したUSAを見て真似しながら、踊り狂う姿を見て、私が驚きました。

多分私あれ、全然見えない。動いてるなーくらいしか。
私自身も動体視力はかなり低い自覚があります。


まーーーでも、長男がものすごく困ってるようには見えず、
あまりにもついていけなくて自己肯定感が下がるようなら、とは思っていますが。
幸い、歌や音楽は大好きで、音楽教室にも通い出し、そこでは楽しく踊っている時もあります。

私は、平日の教室なので、その日だけなんとか定時で仕事抜け出すのにただただ必死(´-ι_-`)


集団で前に立つ先生の説明や指示を見聞きする、というのは、今後成長につれ頻度が上がるはずで、
少しずつ、対策を考えたいと思います。



また、陽子線照射後の左右の目や、こめかみあたりの骨の成長差は、上の写真で見る通り、ほとんどありません。
陽子線照射した右のほうが若干目が小さい気もするけど。
15年後とかにどうなってるかは不明ですが、ひとまず、今は見た目ではまずわからない、という状態です。


眼球温存のための陽子線照射。
今の治療セオリーの中では、長男がおそらく国内で初めての例になると思います。
その後、よくお問い合わせもいただきましたが、主治医や治療中に知り合った方々などから、
他にもかなり照射例が出ている、という話を聞いています。

小児への陽子線の保険適応、受け入れる施設の増加傾向など、要因は複合的ではありますが。

もちろん万能ではなく、照射しないに越したことはないを前提とした上で
これまでX線が摘出しかなかった選択肢の幅が、国内でもほんの少し広がったという点では良いことだと思います。

今楽しく電車の図鑑を眺めている長男の視力は陽子線で温存できたもの。
改めて、あの時陽子線を提案くださった国がんのK先生に感謝しています。